ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

学生に年賀状を書かせたら…。面白い!びっくり!


 年末年始の授業で、年越し蕎麦、除夜の鐘、大晦日、新年の挨拶、お雑煮…と色々一通りやるがなんかマンネリだなと思っていた。そうだ、年賀状をまだやってない。
そこで急に思いついて、10年以上前の年賀状を持ち出してきて「これが年賀状だ!」と説明。今はネットの時代でインターネットで検索したら年賀状の写真はいっぱい出てくる。それも見せたら理解は早い。


早速、授業でクラスの先生に年賀状を出しましょう。書いてみようとなる。
そしたら、写真のような年賀状が出来上がった。
みんなすごいじゃないか。字は誤字脱字はあるが日本はイノシシの年だがベトナムはブタなんですね。だから皆んなはいろんなブタさんを書いている。


日本の年賀状の書き方は色々とルールというか注意点があるが、ここはベトナム、最低限の決まりだけ教えて書かせて見た。
下手な字でも手書きの良さがあるね。自由に思い思い描いたイラストや飾りがいいね。
中には自分の写真を貼り付けて「豚のです」には、もらったクラスの先生は大喜びです。
超面白い!ユーモアいっぱいです。


それに、この年賀状を書いてる学生の姿を見て驚いた。みんな日頃の会話の授業の態度と全然違うのです。各自脇目も振らず一生懸命に取り組んでるのです。集中してるのです。
この各一枚一枚の年賀状が出来上がるには約2コマの授業時間がかかってるんです。
まだ日本語の勉強はN5レベルの学生たちです。


個人的には、年賀状とは10年以上も縁がないというか、ベトナムに住み始めて10年以上が経過して出すことももらうこともなくなった。ネットではFBやメールで賀状や年始の挨拶はするが本物の年賀状とは縁がなくなった。
でも、授業でこうして学生に書かせてみると手書きの良さが実感できます。


そういえば、10年前にホーチミン市の日本語学校に初めて赴任して半年も経たないうちに大腸癌が発見されて急遽日本へ帰国して手術した。翌年の新年に療養中の日本の田舎からそのホーチミン市の日本語学校の先生たちに年賀状を書いて送ったことを思い出した。
そのときに、年賀状を受け取った先生たちは大騒ぎで大喜びだったらしい。あとで日本人の先生が「やはり手書きの年賀状には負けるよ!」となぜか悔しそうに教えてくれた。


そうなんです、日本からベトナムに年賀状を送ろうと思えば届くんです。


ベトナムに来て年賀状を書かなくなって10年!ベトナムで年賀状を貰うとは!
日本の正月の紹介で学生に年賀状の書き方を教えた。クラスの先生に書くように教えると、写真のような結果になった。面白い!!
意外や意外、字の間違いなどはともかく、イノシシ(ブタ)のイラストなど上手に描いてます。ちなみにベトナムは干支はブタなんですね。個人的には、ベトナムに来て10年経過、年賀状とは縁がなくなりましたが改めて年賀状は日本の文化なんだと気付きました。

年賀状を授業でやることで、新たな発見をした。また、昔の懐かしい思い出を振り返ることができた。日本では年賀状を書くという作業で毎年一年を振り返り新たな一年を展望してるんですね。年賀状は日本の文化なんだと改めて実感しました。

人間の命をあまりにも軽く見てないか、今の政府は!?

外国人労働者の受け入れ拡大に向けた出入国管理法改正案をめぐり、昨年後半に国会で論戦が繰り広げられてる。
その状況はマスコミでも報道されてるが、政府の対応に取り分け安部首相の討論での発言に私は絶望すら感じた。これが一国の首相の発言か。


「ところが安倍首相と山下法相は聴取票の開示を拒否。野党側はコピーをとることすら禁じられ、手書きで“写経”することとなった。執拗に実態を隠し、ついに明らかになると、死者や失踪者が多数……。  これについて、12月6日の参院法務委員会で質問された安倍総理は、「初めてお伺いした。私は答えようがない」と他人事。ヘラヘラと答弁し、笑顔まで見せた。」(データ元は下記)


幾ら何でも他に言いようがあるだろう。昔の自民党の首相なら、「そんなことがあってはならないことだ。二度と起きないように原因と対策を早急に検討すべきだ。」ぐらいは言っただろう。今の政府は、国民の命を人間の死をあまりにも軽く見てるのではないか。自分が働きに行く国の首相がそんなことしか言わないと知ったら実習生たちは行きたくないだろう。ましてや私はその実習生たちに日本語を教えてきた。こんな国に送り出したくないというのが本音だ




お金持ちに税金を先進国並みに払ってもらえば消費税引き上げは要らない、むしろなくせる。

 新年になったが、特に政治について新しい年になって何か希望はあるのかと考えると、昨年まで嘘と誤魔化しに終始したアベ政権の政治に落胆と絶望しか感じなくなってる。正直、最近ではネットでニュースを見るのが嫌になる。忙しくて見れないのではなくてニューを見ると嫌な気分になるのだ。象徴的なのが国会討論、野党の質問に対するアベ首相やアソウ副首相の誠実のカケラもない対応をなぜマスコミはキチンと報道しないのかと思うたびにストレスが溜まる。私などは年金生活者だから毎日ニュースを見る時間ぐらいはあるが、日本で生活に追われて働いてる多くの人たちは疲れて毎日ゆっくりとニュースを見る時間も取れないだろう。多少、時間があっても今のように事実や真実を極力報道しないマスコミのニュースなど見ても真実は伝わらないだろう。昨年、私は日本国はこのまま政治が続くと世界から孤立して本当に沈没していくのでは無いかという絶望感に陥ることがあった。


 私は今、いろんな事情があって日本を離れて12年目になるが日本には子供が二人生活している。このまま日本が沈没しては困るのである。
だから私のできる範囲で日本国民として意見や思ったことを発信していこうと思う。たとえ微力でも。


まず新年早々、今年は選挙の年でもあり、消費税を10%に引き上げると政府が昨年決めた年でもある。その消費税について、ネットで明快に引き上げはもちろん消費税そのものが本来必要ないという意見を大村大次郎氏が書いておられるので掲載します。


そもそも消費税が導入される時や増税の時には、政府は税収分は社会保障に使うと言いながら実行していません。私がまだ日本国内に住んでる時に政府が「全額社会保障に使う」言ってるのをマスコミは垂れ流してました。多くの反対意見があるのに、もし本当なら仕方ないかと国民に思わせて結果的には全額社会保障には使われてないのです。


最初から全額社会保障に使うつもりがないのに国民に嘘を言って騙したのです。国民はそれを知りながら、日々の生活に追われて忘れていく。マスコミも追求しない。消費税導入からもう30年になるんですね。日本国民は「茹でガエル」状態だと言われてますね。哀しいかなそうです。
特にアベ政権になってから国民に真実や事実を伝えないどころか、アベ首相自身が嘘と誤魔化しの国会答弁を繰り返しているのです。そして、そのことをマスコミは分かっていながら報道しなくなってきたのです。むしろ政権に都合の悪いことはできるだけ報道しなくなってきたのです。


昔から、日本人はNHKや大手新聞社の報道を信じる傾向が世界の国の中でダントツの国民なのです。それでなくても、生活に追われてテレビや新聞を見ない国民は増えてるのでしょう。最近は格差が大きくなってるのでその傾向も大きくなってるでしょう。


アベ政権になって、アベノミクスとか言いながら、株高だから景気が良いという印象操作がされてます。本当に会社の業績が良いから株高ならいいのですが、実際には年金資金が株購入に使われて、日銀が大量に株式を購入して株高を維持しているのが事実です。
政府は株高だから景気が良い、それは政府の経済政策が良いからだという印象操作をしているのです。言わば見せかけの好景気を無理矢理維持しているのです。


安全な資金運用をしなければいけない年金資金を勝手に大量に株に投資しているのです。目的は株高の維持です。実態経済が反映しない無理矢理な株高維持でアベ政権は自らの政権維持のために年金資産をバクチの投資をしているようなものです。株式が暴落したら年金資金も消失です。年金資金は破産です。
まさにアベ政権維持のために国民の年金資金が投資に使われてるのです。


その株式も、日本国民がどれだけ持っているのでしょう。多くは企業が持ち合い、国内外の投資家が持ち、大企業の元社員や社員で金持ちの人は持ってるでしょう。しかし、最近問題になってる派遣労働者や多くの若者は株など買える余裕はないでしょう。
今格差は広がるばかりです。貧乏人はますます貧乏になるばかりです。
消費税はその貧乏人に一番負担が大きい制度ですね。そのことは、大村大次郎氏が書いておられます。


今でも実体経済は良くないのに、これで消費税を10%にしたら生活費を含めて国内消費は大打撃でしょう。収入が伸びないのに支出を増やすことができない庶民(消費者)は増税分を増やすことはできないのです。支出は増やせないから増税分は買い控えになり、国内消費は増税分は確実に減ります。企業の生産、販売も減るのは自明の理です。見せかけの株高操作も限界が来て大暴落の始まりでしょう。
では、消費税を引き上げなくてもいいのか、ましてや廃止などできるのか?と思いますよね。それができるのです。以下の記事を読めば明らかですが、税の制度を変えればいいのです。要はそれを実行する政権を作ればいいのです。国民がそれを望めばいいのです。今年は選挙の年です、それができる年です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載記事ーーーーーーーーー
“日本の金持ちの税金は高い”という大誤解


前号「元国税が暴露。『消費税は社会保障のため不可欠』が大ウソな理由」では、消費税というものがいかに欠陥の多い不公平な税金であるかということをご説明しました。が、「では消費税に代わる税収はあるのか?」という疑問を持った方も多いかと思われます。


日本の金持ちの実質的な税負担が、実は先進国の中ではもっとも低いので、金持ちにもっと税負担を課すべきだと、前号では述べましたが、今回は、それについて、もうすこし具体的に述べたいと思います。前号と重複しますが、先進国の所得税の負担率は、次のようになっています。


主要国の個人所得税の実質負担率(対国民所得比)世界統計白書2012年版より


日本  :7.2%
アメリカ:12.2%
イギリス:13.5%
ドイツ :12.6%
フランス:10.2%
この個人所得税というのは、先進国ではその大半を「高額所得者が負担しているもの」です。国民全体の所得税負担率が低いということは、すなわち「高額所得者の負担率が低い」ということを表しています。つまりは、日本の金持ちの税負担は、先進国の中で一番低いわけです。しかも、かなりの差が開いてのワースト1位なわけです。この部分について、もう少し掘り下げて説明したいと思います。


個人所得税について、アメリカと日本を比較してみますね。2015年度のアメリカの個人所得税の税収は、1.55兆ドルとなっています。1ドル=110円で計算しますと、170兆5,000億円です。これはこの年だけ突出した数字ではなく、だいたいこういう数字で推移しています。


では、日本はと言いますと、2015年度の16兆4,000億円です。この日本の数字も決して突出した数字ではありません。


で、両者を比べた場合、実に10倍以上も差があるわけです。日本の個人所得税の税収がいかに少ないか、ということです。


もちろん、アメリカと日本では、経済規模が違います。が、経済規模を調整したところで、日本は圧倒的に個人所得税の税収が少ないのです。アメリカと日本の名目GDPを比較した場合、アメリカは日本の約4倍です。現在の日本の所得税の税収を4倍にしても、65兆6,000億円しかありません。アメリカの半分にも遠く及ばないレベルなのです。


繰り返しますが所得税というのは、先進国のほとんどでその大半を高額所得者が負担するものなのです。だから、所得税の税収が低いということは、高額所得者の税負担が低いということなのです。だから、ざっくり言えば、日本の金持ちは、アメリカの金持ちの半分以下しか税負担をしていないということなのです。もし、日本の金持ちが、アメリカの金持ちと同等の所得税負担をすれば、約40兆円の税収となるのです。今よりも、24兆円も近くも増収になるのです。


現在の消費税の税収は、17兆円程度です。10%に引き上げても20兆円程度にしかなりません。だから、日本の金持ちがアメリカ並みの所得税さえ払えば、消費税増税の中止どころか、消費税を廃止してもおつりがくるのです。


しかも、です。アメリカの金持ちというのは、決して税負担が高い方ではないのです。アメリカでも、投資家の優遇税制などがあるため、近年、国民の不満が高まり、「格差解消」を訴えて社会問題と言えるほどの大きな運動になりました。ニュースでも大きく取り上げられたので、ご存知の方も多いはずです。そういう、決して金持ちの負担が大きいとは言えないアメリカと比べても、日本の金持ちは半分以下の負担しかしていないのです。日本の金持ちがいかに税金を払っていないか、ということなのです。
金持ちに用意された抜け穴とは
日本の金持ちは“名目上の税率”は高い


ここで大きな疑問を持った方も多いはずです。「日本の金持ちは、世界でもっとも税負担が大きい」ということを、政府や財界がよく喧伝してきたからです。確かに、日本の金持ちは“名目上の税率”は高いのです。先進国の最高税率は次のようになっています。


日本  :45.95%(復興税0.95%を含む)
アメリカ:37.0%
フランス:45.0%
イギリス:45.0%
ドイツ :45.0%
これを見ればわかるように、復興税を加えれば、先進国の中で一番高いと言えます。が、前述しましたように、実際の税収を見ると、アメリカのGDP比の半分以下しかないし、先進国のGDP比と比べても軒並み低いのです。


「税率は先進国では高い方なのに、実際の税収はアメリカの半分以下」


これは非常に不思議な話です。なぜこういうことになっているのか、というと、日本の所得税には、金持ちに対して様々な抜け穴が用意されているからなのです。


日本は投資家天国


日本の金持ちの税金の抜け穴で、代表的なものは、株の配当所得です。以下のように日本の株の配当所得の税金は、実は先進国でもっとも安いのです。


配当所得に対する税金(財務省サイトより)


日本  :15%
アメリカ:0~20%
イギリス:10~37.5%
ドイツ :26.375%
フランス:15.5~60.5%
アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスと比べても、日本の税率15%といのは明らかに安いです。イギリスの半分以下であり、ドイツ、フランスよりもかなり安くなっています。あの投資家優遇として名高いアメリカと比べても、日本の方がはるかに安いのです。


日本では、本来の所得税の最高税率は45%ですが、配当所得は分離課税となっているので、どんなに高額の配当があっても15%で済むのです。分離課税というのは、他の収入と切り離して、配当所得だけを別個に計算することです。分離課税の最大の特徴は、いくら収入があっても税率が高くならないということです。配当所得は、「収入が高い人ほど税金が高くなる」という所得税のルールから除外されているのです。つまり、配当所得は何十億円、何百億円の収入があろうと、税率は15%なのです。


普通、個人の所得税というのは、さまざまな収入を合算し、その合計額に見合った税率を課せられるようになっています。たとえば、サラリーマンや個人事業などの収入があった場合は、所得の合計額が4,000万円を超えた場合は、最高税率の45%となっています。しかし、配当所得の場合は、他の収入と合算されることはありません。だからどんなに配当をもらっていてもわずか15%の税金で済むのです。つまり額に汗して働いた場合、最高で50%の税金を払わなければならないのに、株を持っているだけでもらえる配当所得には、わずか15%しか課せられていない、ということです。


一つの会社の株を個人で3%以上保有している大口株主の場合は、20.42%となっています。が、この大口株主の場合は、地方税5%が課せられませんので、実質的に他の株主と同様なのです。
国民に増税、株主には大減税
格差社会を招いた投資家優遇


この投資家優遇税制は、昔からあったわけではありません。以前、株主配当の税金は、他の所得と同様に累進課税制度になっており、多額の配当をもらっている人は、他の所得の人と同様に多額の税金を納めていました。しかし、2003年の税制改正で、「どれほど多額の配当があっても所得税15%、住民税5%の税率だけでいい」ということになったのです。


もちろん、これは高額配当所得者には大減税になりました。2003年というと、消費税導入以降のことであり、3%から5%に増税した後のことです。国民全体には増税をしておいて、株主にはこっそり大減税をしていたのです。


しかも、株主優遇制度はそれだけにとどまりません。2002年には、商法が改正され、決算が赤字でも配当ができるようになりました。それまでは各年の利益から配当が払われるのがルールだったのですが、この改正により、その年は赤字でも、過去の利益を積み立てているような会社は、配当ができるようになったのです。このため、会社は赤字でも毎年配当をすることができるようになったのです。


なぜこういう「株主優遇」ばかりをしたのか、というと、簡単に言えば株価を上げるためです。株価が上がれば、経済指標上では、景気がよくなったということになりやすいのです。つまりは、名目上の好景気を演出したかったということです。


実際に、著しい株主優遇制度をつくった2000年代前半、日本は史上最長というほどの「好景気」の状態でした。トヨタなどの大手企業は史上最高収益を連発しました。そして、上場企業は、株式配当を以下のように激増させました。


上場企業の株式配当


2005年:4.6兆円
2007年:7.2兆円
2009年:5.5兆円(リーマンショックによる影響で一時的に減少)
2012年:7.0兆円
2015年:10.4兆円
2017年:12.8兆円
この十数年間は、リーマンショックで一時的に減少したものの、「うなぎ登り」といっていいような上昇をしているのです。2005年と2017年を比較すれば、なんと約3倍の増加なのです。


もちろん、配当所得を得ている人は、収入が激増しました。昨今、日本では億万長者が激増しているそうです。世界的な金融グループであるクレディ・スイスが発表した「2016年グローバル・ウェルス・レポート」によると、100万ドル以上の資産をもっている人々、つまりミリオネアと呼ばれる日本人は282万6,000人でした。前の年よりも74万人近く増加しているそうで、増加率は世界一だったのです。この激増している億万長者の大半が、株の配当を得ている人だと推測されるのです。しかも、この億万長者たちは所得税をたった15%しか払っていないのです。


が、その一方で、この間に、サラリーマンの給料は以下のようにまったく上がっていません。


サラリーマンの平均年収


2005年:437万円
2007年:437万円
2009年:406万円
2012年:408万円
2015年:420万円
2017年:432万円
(国税庁統計より)
安倍首相の財界への呼びかけなどで、この2、3年は若干、上がっているものの、まだ2005年の水準にさえ達していません。バブル期に比べれば20ポイントも下がったままなのです。それにも、かかわらず、サラリーマンは、社会保険料や消費税の増税で、負担は増すばかりでした。


こんなわかりやすい「金持ち優遇政策」はないでしょう。これでは、格差社会になって当たり前という感じです。また金持ち優遇制度は、株主だけじゃありません。開業医や地主など、金持ちの職業の大半にはなんらかの優遇制度があるのです。こうして、2000年代から現在にかけて、日本は深刻な格差社会に突入していくわけです。
「日本政府はサル以下か!」
株主への増税が見送られ消費税の増税だけが決まった


この配当所得の不公平に関しては、政府内でも批判があり、今年の1月の時点では、消費税の増税と同時に、配当所得の税率の引き上げも検討されていました。が、株価への影響などを考慮し、配当所得課税強化は見送られました。消費税の増税は予定通りに実行することが決められたにもかかわらずです。これを見れば、今の政府が何を大事にしているのかがよくわかります。


国民生活に大きな打撃を与え、格差を助長する消費税の増税は決行し、株価のことを配慮し、不公平をただすために配当所得の課税強化は見送っているわけです。国民生活の向上や、社会の公平は大事ではなく、目先の株価が大事なのです。現在、株価は、バブル期に並みに上昇しています。この数年で倍以上に上昇しました。一見、日本経済は好調のように見えます。


しかし、実際は日本人全体の生活は年々苦しくなってきており、それが少子高齢化の原因にもなっているのです。公益法人「1more baby 応援団」の既婚男女3,000名に対する2018年のアンケート調査では、子供が二人以上欲しいと答えた人は、全体の約7割にも達しています。しかし、74.3%の人が「二人目の壁」が存在すると回答しているのです。「二人目の壁」というのは、子供が一人いる夫婦が、本当は二人目が欲しいけれど、経済的な理由などで二人目をつくることができないということです。


サラリーマンの給料はこの20年で20ポイントも下がっているのに、消費税増税や社会保険料の負担増が続いています。それは若い夫婦の生活を直撃し、それが少子化の大きな要因になっているのです。


また昨今、日本では非正規社員が急激に増加していますが、これも、実は少子高齢化の大きな原因の一つになっているのです。男性の場合、正社員の既婚率は約40%ですが、非正規社員の既婚率は約10%となっています。派遣社員の男性は、現実的に結婚できていないということです。男性の派遣社員は、現在、500万人以上もおり、10年前よりも200万人増加しています。


この現状を見たとき、誰がもっと税金を払わなくてはならないか、誰の境遇を改善しなければならないか、一目瞭然です。サルでもわかる理屈です。


「サルでもわかるようなやるべきことを実行できない」


それが、今の日本なのです。そして、その象徴が消費税なのです。




https://いつから.jp/archives/77


今年、お世話になった皆様ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

早いものでもう大晦日ですね。このブログは3年間休んでいたので今年はあっという間に終わった感じですが、今年一年をこうして写真で振り返ると色々とありました。
ダラットに来て丸3年が過ぎました。日本語教師の仕事は、この一年が一番充実してたかなと思います。日本へ留学する学生に楽しく授業をやらせていただき感謝です。
生活も健康のために始めたヨガが一年継続できて、食事の制限も含めて生活習慣病が大きく改善できたことが嬉しかったです。
また、昨年にダラットで治療した抜歯の後遺症を5月に日本に帰国して病院に入院して治したことも結果良しでした。
一方で、日本の政治はますます最悪の状況になりつつあります。毎日ネットニュースを見ながら、このままでは日本は本当に沈没するのでは?と心配する毎日です。来年こそ大きく転換し飛躍できる年になるように願いたいです。


今住んでいるダラット市はラムドン省の中にあるのですが、その省で2番目に大きい都市がバオロックです。教えてる学生も一番多いし、そのバオロック市に2月のテト休みに行って来ました。ちょうどテト(ベトナムの正月)で帰省してる学生とも交流できました。


昔、ホーチミン市で教えた留学生が日本に留学してからダラット市に帰国したので、その体験談を学生たちに話してもらいました。


ダラットからダクラック省への山越えの風景。



3月に、日本へ4月に留学する学生の送別会が本部のあるダクラック省のブンメート市であったのでダラットから山越えして参加した。老体にはちょっとキツイ行程でした。でも、TANICO全体で送り出す留学生の数は多くて迫力満点でした。

米朝首脳会談、世界が平和に向けて大きく前進した出来事でした。


一方で、日本国内政治は後退するばかりです。




実は4月初めに送り出した留学生ですが、私は4月に一時帰国して関西空港に着いたので大阪の学校に留学した学生に会いました。とりあえずみんな元気そうなので安心です。これから、帰国するたびに成長した学生に会えるので楽しみです。


こレは、田舎(故郷)の家です。もう誰も住んでいない。私は帰国するたびに掃除して住みますが、普段誰も住まないと家は荒れますね。庭の草がぼうぼう、植木が伸び放題…。剪定が大変です。母親が一人で住んでたんですが、今は町内の特養にお世話になってます。煙が家から見えるのは、田んぼの野焼きですね。同級生は米作りに頑張ってます。

これは、田舎の駅です。今は無人駅で、管理人さんが蕎麦屋を営んでます。美味しいと評判です。いつ廃線になるか分からん赤字路線です。


これは田舎の温泉です。いい湯だな!日本三大美人湯の一つ!と言われてます。
確かに、お湯はヌルッとして湯上り後は違います。町内でも、他よりも違います。ここだけ。

田舎の田園風景

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いきなり写真の編集上、ダラットになります。これは9月の日本へ留学する学生の送別会の写真です。

これは、授業中に学生が勝手に先生に無断で撮った写真です。SNS、!?完全禁止はできない。これはこれで今では良い思い出になりますね。笑。

これは、バンセオというベトナムのお好み焼きを学生が美味しい店だと言うので行ったのですが、今ひとつだったな。油を使いすぎてベチョベチョ状態。でも、楽しく食べた。


これまた、突然の結婚式の写真ですが、10月?ヨガの仲間の娘さんの結婚式のです。招待されて参加しました。御幸せに。多くの参加者でした。

会話の授業風景です。

この写真はベトナムの先生の日(11月20日)の記念行事で、日本語のスピーチ大会と学生の歌や踊りで楽しく盛り上がりました。



クリスマスの日にバオ.ダイ帝の別荘見学を妻としました。3年も住んでるのに、ダラットの街を知らないなとちょっと反省。

ダラットの茶畑の風景

これは、4月に日本へ留学したばかりなのに日本の正月休みで一時帰国してきた学生に授業で話してもらった時のです。元気で何よりです。

これは、年末に日本からダラットに旅行に来られたご夫妻と交流した時のです。奥様はロシア人です。面白くて楽しい奥様です。

自然にこういう風に!仲が良いです。

これは、ロシアに留学して建築学を学んだベトナム人建築家が作ったクレイジーハウスという建物&ホテルです。上記のご夫妻が見学されました。


これも、授業中に学生が勝手に撮った写真をSNSで加工した?もの。

これは、黒板に先生のことを描いたもの。特徴はつかんでいて上手!?

私が昔、ドンズー日本語学校で教えてた時の同僚のベトナム人先生が日本人とめでたく結婚されました。ホーチミン市で結婚式に出席しました。おめでとうございます。いつまでもお幸せに!8月です。


その翌日のホーチミン市中心街の風景

ホーチミン市のクリニックで検査の結果、ヘモグロビンA1Cの値が数年ぶりに正常値になりました。薬や食事制限の効果もあるが、大きくは一年継続してるヨガの効果が大きいと実感してます。以下はその早朝のヨガ教室の風景です。




10月に日本と韓国へ留学する学生の送別会です。


中秋の名月


日本の政治の後退は酷いものですが、特に沖縄の辺野古埋め立て強行の安倍政権の住民無視の政策は独裁政治そのものです。でも、沖縄の人たちは負けていません。

長年乗っていたバイクが故障したので買い替えました。ホンダのオートマチック。
予定よりも高いものになったが、快適に乗ってます。

これは、8月に結婚式を挙げられた、お二人。ダラットに来られたので会いました。
また、来年日本の名古屋で会いましょう。実は結婚前にもお会いしてるのですが、ご主人は貫禄が出てきました…。

この写真は、日本の名古屋から友人がダラットに旅行に来た時に泊まったアナマンダラリゾートの写真です。素敵な所です。

これはその時に初めて見学したクレイジーハウスです。

これは、毎日のようにコーヒーを飲んでるカフェ、メイビーブルーです。アラビカコーヒーのテピカがお気に入りです。

これは、上記に載せた、バオ=ダイ帝別荘見学時のです。ブログの写真の編集が難しくて飛び飛びになった。

これはダラット駅の中です。いまは観光用にちょっと走るようです。

駅の正面です。

花の栽培園での妻(ベトナム人)日頃の家庭サービスの欠落をカバーできたかな。

ダラットは花の栽培が有名です。

ということで、今年一年が終わります。来年は良い年になりますように。

最後のエンペラー、バオ.ダイ帝とはどんな人物だったのか、探ってみた。



今回、いきなり見物したダラット市内のバオ.ダイ帝の別荘だったが、日頃の不勉強というかベトナムに10年以上も住んでいてこの国の歴史を勉強していないことを恥じた。
バオ.ダイ帝はベトナム王朝の最後のエンペラーだったんだと知る。大雑把に言うと、ホーチミン氏にバトンタッチしたような人物だと分かった。


以下は、大雑把にベトナムの歴史を検索したものの一部です。(これから、暇をみてベトナムの歴史を勉強しようと反省中です。)


『バオ・ダイ(ベトナム語: Bảo Đại / 保大、1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝(在位:1926年1月8日 - 1945年3月11日)、ベトナム帝国皇帝(在位:1945年3月11日 - 1945年8月30日)、ベトナム民主共和国最高顧問(1945年9月 - 1946年3月16日)、後にベトナム国国長(在任:1949年6月14日 - 1955年4月30日)。姓・諱は阮福永瑞(げんふく えいずい、グエン・フク・ヴィン・トゥイ、ベトナム語: Nguyễn Phúc Vĩnh Thụy )、後に阮福晪(げん ふくてん、グエン・フク・ティエン、ベトナム語: Nguyễn Phúc Thiển 、晪は日偏に典)と改めた。バオ・ダイの名は治世の年号である保大(1926年 - 1945年)に由来し、保大帝(ほだいてい、ホアン・デ・バオ・ダイ、ベトナム語: Hoàng đế Bảo Đại / 皇帝保大)とも称される。』
(引用サイト:バオ・ダイ - Wikipedia、https://ja.wikipedia.org/wiki/バオ・ダイ)



注:下記の通りの名は、ホーチミン市でも同じですね。ダラット市内でもそうです。


『ベトナムの通りの名前について
 旅をするにも、その国の歴史を知っておくと、より楽しめます。例えば、ベトナムでは通りの名前に多くの人物名が用いられています。首都ハノイも例外ではありません。
 大劇場北側のリタイトー通り、大劇場南にレタイントン通り。ホアンキエム湖南のハイバーチュン通り、その一本南のリートゥーンキエット通り、さらに一本南のチャンフンダオ通り。
 ホーチミン廟周辺では、フンヴォン通り、ホアンジュウ通り、グエンチーホン通りなどなど、すべてベトナムの歴史上に登場する有名人です。
 どんな人であったかは下の年表で確かめてください。ベトナムの歴史に思いをはせながら通りを歩いてみると、ベトナムの町並みもまた格別の印象を受けるかもしれません。』


ベトナム人は頑固である。それも並大抵ではなく超頑固だと私は思っている。それはベトナム人と結婚してみて確信になった。ま、時々、妻だけが特に頑固なのか?と思うこともあるが…。その抵抗力というか、自分が明らかに悪いという場面でも決してベトナム語で「すみません。」と言う言葉を発しないのである。ベトナム語で「すみません。Tôi xin lỗi」の言葉はあるのだが。このことは、10年ベトナムに住んでいてもベトナム人が「Tôi xin lỗi」という場面を見たことが無いと言うのは大げさでは無いと思っている。(逆に、日本人は「すみません」を気楽に使いすぎるのかも。

下記は「ベトナム人の抗戦力の強さ」と言う表現で司馬遼太郎の説があったので引用する。やはり長い歴史の中で出来上がったものなのだろうか。



『ベトナム人の抗戦力の強さ・・・司馬遼太郎『人間の集団について』(1973年4月のサイゴン滞在記)より
「ベトナム人の抗戦力のつよさは、ひとつは輪廻転生を信じていることにもよる。今生は苦が多いが、しかし自分は布施などをして善業も積んでいるから、来世はきっといい運の人間に生まれかわるにちがいないということを、雑談のあいだによく聞かされた。・・・・ベトナム人の8割までが仏教徒である。その仏教徒をかつてのジェム政権が徹底的に弾圧したために、そして仏教徒として反政府的な言辞を吐いたというだけで捕縛されることが多かったために、解放戦線に走る者が多かった。かれらがカトリック教徒もしくは回教徒ならもっと死を怖れたにちがいない。カトリックや回教には、死ねばもう一度、一度どころか際限もなく人間になってこの世に生まれかわってくるという思想はないのである。・・・・
 そこに死体がある。その死体をみて衝撃をうけるのは多分にキリスト教的なもので、仏教の輪廻観では本来衝撃をうけるべきものではない。ただ、人情としては悲しみが湧きおこるのであり、「あの人は今生ではあのように運が悪かった。しかし来世がある。来世には何に生まれかわってくるだろうか」という静かな観照が働くべきものなのである。」
(参考文献)『人間の集団について ベトナムから考える』 p.42~44 中公文庫 1974年初版刊』

(引用サイト:(http://hashim.travel.coocan.jp/whistory/vietnam.htm
https://vietnamhuetourism.jimdo.com/ベトナムフエの歴史と日本/グエン王朝初代-13代/