ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

エルサレムの嘆きの壁、聖墳墓教会を訪れる『回想』


 先に、ヨルダン川西岸のパレスチナ難民キャンプを訪問して、炎天下の移動で日射病の症状になり、グループから分かれてエルサレムの宿にタクシーで戻ったまでを書いた。
その夜は、軽い頭痛がしていたが睡眠もできたので翌朝には症状は治った。


翌日は、グループから分かれて一緒にエルサレムの宿に戻った他の二人の女性たちが「行きたいところがある」とのことで、私はついて行くことにした。それは「嘆きの壁や聖墳墓教会」だと後で知った。


「嘆きの壁」は有名な所で、世界の有名人がエルサレムを訪れると必ずのようにその壁の前で手で触れてお祈りをする映像が報道される場所であるが、その時に私は自分の手で壁に触っていたがあまり感動は感じなかった。むしろ後々に「あの時の石の壁が有名な嘆きの壁だった!」と驚いた次第だ。


その時の一緒に行った二人の女性陣も、嘆きの壁にはあまり感動してる様子も無く、行きたいところがあるようだった。実は、その二人の日本人女性はクリスチャンだったのである。(私は無宗教に近いが、田舎の家は仏教である。)


エルサレムの三台聖地がある迷路のような石段をうろうろと登って行った。
あの有名な聖地を、無宗教に近いよく理解してない一人の日本人(仏教)は二人のクリスチャンの後をついて行ったのである。


その迷路のような石の階段を登って行くと、祭壇のような所に辿り着き、その二人のクリスチャンはその迷路に消えて行った。
私はその二人のクリスチャン女性が戻るまで待っていた。どのくらいの時間が経過したのは今では記憶に無い。後になって、その場所は「聖墳墓教会」だったのだろうと思った。


「嘆きの壁」がある所の近くに石造りの入り口がいくつかあり、何気に入って見た。
その中には広い部屋があり、独特の髪の頭の上に帽子(?)を被った若い人たちが居た。
その集団は静かに作動をしているのが印象的だった。そこはユダヤ教の信徒の人たちの場所だったのだろうと後で思った。独特の雰囲気だった。


そして金色の屋根を持つドームの建物も近くにあったが、そこを訪れたかどうかは今では記憶が定かではない。とにかくエルサレムの三台聖地がある場所をうろうろとしたのは事実である。物見遊山的感覚で明確な目的や意志がある訳じゃない人間がエルサレムの聖地をウロウロとしたのである。その聖地の三つの宗教の一つの信者だったらどれだけ感動したのかと後で思う…。