ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

最後のエンペラー、バオ.ダイ帝とはどんな人物だったのか、探ってみた。



今回、いきなり見物したダラット市内のバオ.ダイ帝の別荘だったが、日頃の不勉強というかベトナムに10年以上も住んでいてこの国の歴史を勉強していないことを恥じた。
バオ.ダイ帝はベトナム王朝の最後のエンペラーだったんだと知る。大雑把に言うと、ホーチミン氏にバトンタッチしたような人物だと分かった。


以下は、大雑把にベトナムの歴史を検索したものの一部です。(これから、暇をみてベトナムの歴史を勉強しようと反省中です。)


『バオ・ダイ(ベトナム語: Bảo Đại / 保大、1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝(在位:1926年1月8日 - 1945年3月11日)、ベトナム帝国皇帝(在位:1945年3月11日 - 1945年8月30日)、ベトナム民主共和国最高顧問(1945年9月 - 1946年3月16日)、後にベトナム国国長(在任:1949年6月14日 - 1955年4月30日)。姓・諱は阮福永瑞(げんふく えいずい、グエン・フク・ヴィン・トゥイ、ベトナム語: Nguyễn Phúc Vĩnh Thụy )、後に阮福晪(げん ふくてん、グエン・フク・ティエン、ベトナム語: Nguyễn Phúc Thiển 、晪は日偏に典)と改めた。バオ・ダイの名は治世の年号である保大(1926年 - 1945年)に由来し、保大帝(ほだいてい、ホアン・デ・バオ・ダイ、ベトナム語: Hoàng đế Bảo Đại / 皇帝保大)とも称される。』
(引用サイト:バオ・ダイ - Wikipedia、https://ja.wikipedia.org/wiki/バオ・ダイ)



注:下記の通りの名は、ホーチミン市でも同じですね。ダラット市内でもそうです。


『ベトナムの通りの名前について
 旅をするにも、その国の歴史を知っておくと、より楽しめます。例えば、ベトナムでは通りの名前に多くの人物名が用いられています。首都ハノイも例外ではありません。
 大劇場北側のリタイトー通り、大劇場南にレタイントン通り。ホアンキエム湖南のハイバーチュン通り、その一本南のリートゥーンキエット通り、さらに一本南のチャンフンダオ通り。
 ホーチミン廟周辺では、フンヴォン通り、ホアンジュウ通り、グエンチーホン通りなどなど、すべてベトナムの歴史上に登場する有名人です。
 どんな人であったかは下の年表で確かめてください。ベトナムの歴史に思いをはせながら通りを歩いてみると、ベトナムの町並みもまた格別の印象を受けるかもしれません。』


ベトナム人は頑固である。それも並大抵ではなく超頑固だと私は思っている。それはベトナム人と結婚してみて確信になった。ま、時々、妻だけが特に頑固なのか?と思うこともあるが…。その抵抗力というか、自分が明らかに悪いという場面でも決してベトナム語で「すみません。」と言う言葉を発しないのである。ベトナム語で「すみません。Tôi xin lỗi」の言葉はあるのだが。このことは、10年ベトナムに住んでいてもベトナム人が「Tôi xin lỗi」という場面を見たことが無いと言うのは大げさでは無いと思っている。(逆に、日本人は「すみません」を気楽に使いすぎるのかも。

下記は「ベトナム人の抗戦力の強さ」と言う表現で司馬遼太郎の説があったので引用する。やはり長い歴史の中で出来上がったものなのだろうか。



『ベトナム人の抗戦力の強さ・・・司馬遼太郎『人間の集団について』(1973年4月のサイゴン滞在記)より
「ベトナム人の抗戦力のつよさは、ひとつは輪廻転生を信じていることにもよる。今生は苦が多いが、しかし自分は布施などをして善業も積んでいるから、来世はきっといい運の人間に生まれかわるにちがいないということを、雑談のあいだによく聞かされた。・・・・ベトナム人の8割までが仏教徒である。その仏教徒をかつてのジェム政権が徹底的に弾圧したために、そして仏教徒として反政府的な言辞を吐いたというだけで捕縛されることが多かったために、解放戦線に走る者が多かった。かれらがカトリック教徒もしくは回教徒ならもっと死を怖れたにちがいない。カトリックや回教には、死ねばもう一度、一度どころか際限もなく人間になってこの世に生まれかわってくるという思想はないのである。・・・・
 そこに死体がある。その死体をみて衝撃をうけるのは多分にキリスト教的なもので、仏教の輪廻観では本来衝撃をうけるべきものではない。ただ、人情としては悲しみが湧きおこるのであり、「あの人は今生ではあのように運が悪かった。しかし来世がある。来世には何に生まれかわってくるだろうか」という静かな観照が働くべきものなのである。」
(参考文献)『人間の集団について ベトナムから考える』 p.42~44 中公文庫 1974年初版刊』

(引用サイト:(http://hashim.travel.coocan.jp/whistory/vietnam.htm
https://vietnamhuetourism.jimdo.com/ベトナムフエの歴史と日本/グエン王朝初代-13代/