ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

サーフイン、爺でもできるかな?!


 写真はダナンのミーケービーチである。私のお気に入りのビーチで、ここのレストランビーチクラブで飲むコーヒーは場所代で高くて贅沢であるが最高だ。


 ここでコーヒーを飲みながら繰り返し押し寄せる白波を見てると、心の中が洗われてストレスがどこかへ飛んで行くようだ。潮騒の音を聴きながら潮風を吸い込んで呼吸してると気持ちがいい。


 ビーチを見ると、波乗りをしている人がいる。映画のように大きな波ではないが、小さな波でもボードに腹這いになり手で漕ぐ、時々立ち上がっているがすぐにひっくりかえる。無心になるだろうな!私もやってみたいと思う。


 しかし、年齢的には爺だ。体力もない。元々スポーツマンでは無い。やれるかな?
私よりちょっと若い友人がここのビーチでやっている。それに刺激を受けて、今私はサーフインを人生で初めてチャレンジしようと思っている。
実際に行動に移したら、このブログで報告しようと思う。

ダナンで新たなスタートが始まるぞ!

 


実は、昨日住まいを引っ越したばかりだ。ダナンで住んでるところをちょっと移動した感覚だ。1ヶ月半前に北の生活に疲れてボロボロになり、ダナンのビーチの潮騒の音に惹かれてやって来た。


 友人の紹介の縁もあり、私がベトナムで12年前に初めて日本語教師で赴任したサイゴンの有名な日本語学校のダナン分校の門を叩いた。
親切な校長先生の心使いで学校内の空いてる部屋にとりあえず居候させてもらうことになった。家賃も電気水道代も無料である。


 その頃の自分はかなりストレスが溜まっていて、気分も落ち込みがちだった。
何をするにも不安感と不信感が心から離れない。不断だと何でも無いことに神経がピリピリする状態だった。学校の職員の言動にも過剰反応気味だった。


 この間、前に4年間住んでたダラットにもテト前に1週間滞在して、いろいろな用事を済ませた。その時、通っていたヨガ教室の教師や友人たちにお世話になった。親切が身にしみた。


 さて、テト中はダナンに帰って来て、学校の施設内に居候しながら、ダナンの友人たちの家へ招待されたり、ホイアンまでバイクで行ったりして過ごした。しかし、学校の施設の関係上、出入りが不便な状態は仕方がないのである。


 そこで、テトの期間中に近くのアパートをネットやアプリで調べたり、自分の足で歩いて部屋がないか探してみた。当初、部屋代は月に400万ドン(2万円)以内で考えていたが、なかなかその予算では無いのである。エアコン、冷蔵庫、ベッド、タンスなど家具付きで、ちょっといい部屋は500から600万ドン
ぐらいだ。「ダナンは家賃が安い!」と聞いていたが、私の感覚では決して安くは無いのである。


 思いついたら即実行的な性格で、色々と見て回った結果、400万ドンで家具付きで狭い部屋を借りた。時間をかけて、じっくりと良い物件が出てくるのを待つこともあるが、せっかちな性格なので‥。


 というわけで、今の部屋を見て、即仮契約して翌日には引っ越すということにしたのである。学校側にもその旨は伝えて了解を取り、一人で引越しの準備となった。
考えてみれば、この半年で何回引っ越したことか!?これで5回目だ!昔から、日本では「引越し貧乏」という言葉があるが身に染みるなー。


 そして、その引越しの当日(昨日)、今までの引越しは殆ど一人で行って来たが、今回は学生に声をかけて手伝いを頼んだ。しかし、急なことでもあり、コロナウイルスの影響で今週は急に授業が無くなってしまった関係で、集まった学生は二人だった。
それでも私には、大変にありがたい協力だった。


 当日の朝に、何とか4階の部屋から荷物を下に運んで、友人に頼んでいたタクシーを待つ。来たのは普通のマイリンタクシーだった。タクシーは荷物を見て、距離が近い、人間以外は載せないと言って帰ってしまった。


 ええ!なんで。仕方ないから、事務所の職員に他の車を頼んでもらう。内心、そうか最初から事務所に相談したら良かったかな?!と思う。全部自分でやろうという気持ちは変えないと。


 そして来たのは、軽トラックの車だった。内心、引越しはこれだな!と思う。値段は145000ドン(700円)だ。(内心、安い。と思う。)距離は近い。


 今回の引越しは、大きなな家具などは無いので、身の回りの物を入れたケース&箱が12個とスーツケースぐらいだ。荷物をまとめるのには時間がかかるが、運ぶのは短時間で終わる。それで、学生が二人でも手伝ってくれるのは私には大変にありがたいことなのだ。感謝感激である。お礼にお金をと思ったが、それは失礼だと思い、ダラットのお土産とあとで一緒にコーヒーを飲むことで感謝の気持ちにした。その時の写真が掲載写真だ。

北で日本語教師を辞めた理由、その4/身の程知らずの若者と女の恨みは怖い!

 その北の会社は日本語を勉強する学習者は300人、ベトナム人教師は30人いるのに日本人教師は少ない。私が入った時は20代前半の大学出たばかりの若者が一人だけいて、その会社で半年の経験者だった。実はその前に前任者がいたらしいが、私と同世代らしかったらしい。どうも二ヶ月ぐらいはその若者と一緒の時があったのだが、日本人教師は足りない状況なのに辞めているのである。私は、後で思ったのだが、その同世代の日本語教師の人は私と同じで、その若者と一緒に仕事するのが嫌になって退職されたのだろうと想像している。


 敬語の使い方もできない、年配者に対する敬意を表する態度もない、日本語教師の勉強もしてないのに日本語教師ぶっている態度など、誰でも同世代なら嫌になるだろう。年配者が教えてやろうとしても従順な性格ではないので無理だ。


 ある時、日本人教師の応募があって、会社内の見学をして、その対応をその若者がしていた。その後の責任者との若者の会話の内容が聞こえて来て呆れたことがある。
「あの人はいい人みたいですね。私が日本へ帰国する3月まで私が教えていけばなんとかなるでしょう。」のような発言をしていた。その、見学した日本人は40代でベトナムで約3年の日本語教師経験者だと聞いている。一方、若者はその会社で半年の経験だけである。その若者がその40代の日本人教師に教えることなど何もないのであるが、何を勘違いしたのか?驚きしかなかった。私は近くで聞いていて「あんたが教えることなど何もないよ。あるとすれば、この会社の仕事のルールと規則だけだろ。」と内心つぶやいた。


 結局、その40代の日本人教師は入社して来たが、早い段階でその若者には、「あんたに支持されたり教えられたりすることは何も無い。」と言う関係になったのである。もちろん、私も同じ対応した。


若いベトナム人女性教師の恨みを買うと怖い!


 ある授業で、学習者の発音がアクセントがおかしいので直そうといろいろしても簡単に直らない出来事があった。みんな同じアクセントでネイティブの日本人には変な日本語に聞こえるので、直してやろうとするのだが直らないのだ。
そこで、同席していたベトナム人の若い女性教師に同じ発音をしてもらうと、学習者と同じ発音なのである。私は原因はこれだ!と理解した。「同じですね。」で、終わった。もう何ヶ月もその教師と学習者は勉強しているのである。そのアクセントの癖は一朝一夕には直らない。


 しかし、その授業での出来事があったことは私は忘れていたが、そのベトナム人教師には忘れられない出来事で、私に恥をかかされたと恨んでいたのである。
それは後々に私の耳に入って来たのである。
そのベトナム人女性教師は、職員会議で私の名前を出して個人攻撃をした張本人だったのである。ベトナム語だけで運営する職員会議でベトナム語で一方的に個人攻撃をされて、通訳も無いのでその場では理解できないし、反論もできないのである。それで、私は名誉を傷つけられたと後で抗議したのである。


 ベトナム人はプライドが高い、特に女性は。これは定説であるが、このように授業中の出来事は、学習者の日本語が上手になるためにやっていることなので、それを恨みに思われてもどうしようもないのである。しかし、女性の恨みは怖い!は実感である。

珍テスト問題!?:北で、日本語教師を辞めた理由、その3。

 北の会社で、日本語教師を辞めた理由」を先に書いたが、その中に出てくる「20代の若者」が考えた「テスト問題」の一部、珍テスト問題を紹介しよう。
私は、その若者が作ったという「テスト問題集」をちょっと見て、下記のようなテスト問題(例)が出て来て、呆れて驚いて、その若者の程度が知れたので、その後は一切参考にもしていない。今改めて、そのテスト問題例を見てみて、その底の浅さと軽さに吐き気がするような思いがする。本当の日本人日本語教師だったら間違ってもこんなテスト問題は作らんだろうと言いたい。特に驚いたのは「恋人」云々の問題が多いことだ。平気でこんなテスト問題を作る感覚が信じられない。(授業中に、冗談で言うのはあるかもしれないが…。)


{「テスト問題」一部の抜粋}
*最近、あなたが残念だったことを教えてください
  完答)昨日恋人とホテルへ行く約束をしていたのに、恋人が来ませんでした


*どんな恋人がほしいですか?
  完答)背が高くてハンサムな恋人がほしいです 


*恋人に会う前に何をしておきますか?
  完答)ホテルを予約しておきます/お金を準備しておきます


*ベトナムで一番ハンサムなのは誰ですか?
完答)ベトナムで一番有名なのはホーチミン様です


*ベトナム料理でなにが一番美味しいか知っていますか?
 ➡何が一番美味しいですか
  完答)はい、知っています/いいえ、知りません


*教室の窓はどうですか?
  完答)教室の窓は開いています


*日本の料理で何が一番食べたいですか?
  完答)お酒が一番飲みたいです


*友達に財布を盗られたら、どうしますか?
  完答)警察に連絡します。

延々と続く墓場通りを抜けたら、ホイアンだった!

 



 今年のテトはダナンで迎えた。テト三日目に学生たちとクアンナムとホイアンへバイクで行くことになった。




 ダナン市内からクアンナム省タムキーまではバイクで約一時間かかる。学生とバイクに二人乗りでひたすら走ること一時間。目的地近くに着いて、目的地の学生と電話連絡が取れないと言うことでしばらく待つ。
目的地の正確な住所を確認しないままに来たのか?分からないが、このへんはベトナム人らしい。


 連絡がついて、訪問した家は学生の故郷の家だ。学生のお父さん、お母さんが快く歓迎してくれた。家の前はカフェになっていて、カフェと言っても田舎らしくて、道路に椅子を並べただけだが、客たちはカードに夢中になっていた。見ると結構な金額の札が飛び交っていた。ベトナム人は賭け事が好きなんだと実感する。


ここでしばらくお邪魔してから、ちょっと雨が降ってきたが、次の目的地へ雨カッパを着て走り出す。
そこでも、しばらく走ってから連絡が取れないとか言い出したが、「鶏が逃げ出して追っ掛けてる。」とのことだった。みんなで大笑い。その鶏は私たちのご馳走になる鶏だったのだろうと思う。



 ようやく、目的地に着いた。学生の実家で田んぼの中にあるような家だった。
やはり、昼の料理はあの鶏の丸蒸し焼きだった。美味しかった。ベトナムの鶏はおいしいと改めて実感する。食後、私はここで30分くらいの昼寝をする。長いベトナム生活で、私は昼寝の習慣がついて、短時間でも寝ないと調子が狂う。


 30分くらいで起こされて、次の目的地のホイアンに向けて出発だ。
この町は、タムキーと言う所らしい。ホイアンまで約一時間は走っただろう。結構広い道路をただ走るのだが、道路の両サイドは砂漠というか白い砂の土地で、よく見ると墓が連なっているのである。それは延々と続く墓場通りだった。道路の両脇は墓以外は何もない、ただ墓が連なる風景だった。夜に通ると怖いだろうなと思える風景だった。


 その墓場通りを走り抜けて、ようやくホイアンに近いと感じた頃に、右側にレジャーランドのような施設が見えて来た。
それを通り過ぎると前方に少し盛り上がって見える大きな橋が見えて来た。
どうやら湾にかかった橋で、それを渡るとホイアンの町だ。
橋の中心で、バイクを降りて休憩する。橋から見える、湾とホイアンの風景は絶景だった。


 私は何回もホイアンに来たことがあるが、以前に来たときにはこの橋はなかったような気がする。世界遺産に登録されてから急速に開発されたのだろうと推察する。
ここで、しばらく学生たちと写真を撮ったりしてくつろぐ。


 いよいよ、最終の目的地のホイアンの街に入る。


やはり、中心街はテト中ともあり、人人であった。ホイアンが田舎の学生の案内で街中を見物する。屋台でバンチャンヌーンを食べたり、日頃は食べないアイスクリームを味わったり、若い学生たちと一緒に楽しむ。
提灯が綺麗で、買おうかなと思ったが、結局買わなかった。
記念に買っても良かったかなとちょっと後悔する。一個15マンドンぐらいだった。


 夕方、暗くなると川の両脇の照明と船の提灯の明かりがなんとも言えない情景を醸し出している。川の脇の道路は多くの人で賑わってた。
最後は、カフェでコーヒーなどを飲みながらひと時を過ごす。