ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

ダナンで新たなスタートが始まるぞ!

 


実は、昨日住まいを引っ越したばかりだ。ダナンで住んでるところをちょっと移動した感覚だ。1ヶ月半前に北の生活に疲れてボロボロになり、ダナンのビーチの潮騒の音に惹かれてやって来た。


 友人の紹介の縁もあり、私がベトナムで12年前に初めて日本語教師で赴任したサイゴンの有名な日本語学校のダナン分校の門を叩いた。
親切な校長先生の心使いで学校内の空いてる部屋にとりあえず居候させてもらうことになった。家賃も電気水道代も無料である。


 その頃の自分はかなりストレスが溜まっていて、気分も落ち込みがちだった。
何をするにも不安感と不信感が心から離れない。不断だと何でも無いことに神経がピリピリする状態だった。学校の職員の言動にも過剰反応気味だった。


 この間、前に4年間住んでたダラットにもテト前に1週間滞在して、いろいろな用事を済ませた。その時、通っていたヨガ教室の教師や友人たちにお世話になった。親切が身にしみた。


 さて、テト中はダナンに帰って来て、学校の施設内に居候しながら、ダナンの友人たちの家へ招待されたり、ホイアンまでバイクで行ったりして過ごした。しかし、学校の施設の関係上、出入りが不便な状態は仕方がないのである。


 そこで、テトの期間中に近くのアパートをネットやアプリで調べたり、自分の足で歩いて部屋がないか探してみた。当初、部屋代は月に400万ドン(2万円)以内で考えていたが、なかなかその予算では無いのである。エアコン、冷蔵庫、ベッド、タンスなど家具付きで、ちょっといい部屋は500から600万ドン
ぐらいだ。「ダナンは家賃が安い!」と聞いていたが、私の感覚では決して安くは無いのである。


 思いついたら即実行的な性格で、色々と見て回った結果、400万ドンで家具付きで狭い部屋を借りた。時間をかけて、じっくりと良い物件が出てくるのを待つこともあるが、せっかちな性格なので‥。


 というわけで、今の部屋を見て、即仮契約して翌日には引っ越すということにしたのである。学校側にもその旨は伝えて了解を取り、一人で引越しの準備となった。
考えてみれば、この半年で何回引っ越したことか!?これで5回目だ!昔から、日本では「引越し貧乏」という言葉があるが身に染みるなー。


 そして、その引越しの当日(昨日)、今までの引越しは殆ど一人で行って来たが、今回は学生に声をかけて手伝いを頼んだ。しかし、急なことでもあり、コロナウイルスの影響で今週は急に授業が無くなってしまった関係で、集まった学生は二人だった。
それでも私には、大変にありがたい協力だった。


 当日の朝に、何とか4階の部屋から荷物を下に運んで、友人に頼んでいたタクシーを待つ。来たのは普通のマイリンタクシーだった。タクシーは荷物を見て、距離が近い、人間以外は載せないと言って帰ってしまった。


 ええ!なんで。仕方ないから、事務所の職員に他の車を頼んでもらう。内心、そうか最初から事務所に相談したら良かったかな?!と思う。全部自分でやろうという気持ちは変えないと。


 そして来たのは、軽トラックの車だった。内心、引越しはこれだな!と思う。値段は145000ドン(700円)だ。(内心、安い。と思う。)距離は近い。


 今回の引越しは、大きなな家具などは無いので、身の回りの物を入れたケース&箱が12個とスーツケースぐらいだ。荷物をまとめるのには時間がかかるが、運ぶのは短時間で終わる。それで、学生が二人でも手伝ってくれるのは私には大変にありがたいことなのだ。感謝感激である。お礼にお金をと思ったが、それは失礼だと思い、ダラットのお土産とあとで一緒にコーヒーを飲むことで感謝の気持ちにした。その時の写真が掲載写真だ。