ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

お寺の住職に叱られる。

母の葬儀が終わり、お骨を供養塔に納骨するときにお坊様に叱られた。


葬儀が終わり、火葬にしてお骨をお寺の敷地内にある供養塔の中にお骨を納めるために、お寺にお骨を持参したのだが、住職は忙しそうでその場で供養塔には収められなくて明日にということで寺を後にした。


翌日は、母が15年間入所していた老人ホームに退所手続きに行くが、長い入所生活で世帯道具も多くて、大きなものは業者に引き取り処分を頼むが、それでも私が持ち帰る物もあり、車もバイクも無い私には困ったことになった。とりあえず施設に預かってもらうことにした。


そんなことにバタバタして、私はお寺のお坊様に電話することを失念してしまった。


そこに、東京からわざわざ車で帰省してくれた従兄弟に車に同乗してもらいお寺に行く。
そしたら、住職はカンカンに怒っておられた。私がお骨をお寺においたままにして連絡もしないことに、「不信心モン」だとお怒りになってしまった。


約束の連絡をしない私が悪いので謝るが、住職の怒りは収まりそうも無い。「父の命日も覚えてない。もちろん戒名も。」「ベトナムに長年住んでるからか…。」などとキツイ言葉で叱られた。


住職は40代後半だと思うが、怒った時の態度は厳しいものがある。
数年前に、供養塔のことで対話した時の私の言葉を思い出して、批判的な言動をされた…。


私にとっては、家族の死は初めてのような出来事だ。約20年前に父が亡くなているが、そのときの葬儀は母が実質的に仕切ってくれて、都会で仕事に明け暮れていた息子の私は葬儀に蜻蛉返りをしただけの名だけの喪主であった。その後の、法要も行ったかどうか記憶が定かではない。(母が、田舎で単独で行ったかも)


故郷を離れて、大都会で仕事と生活に明け暮れて、父の命日すら気にしない生活を送っていたのは事実だ。(当時、私は名古屋市でFCコンビニ店を経営していた。FCコンビニ店を経営することが、どれだけ大変なことかは此処では説明する時間がない。)


今回の母の死で、いろいろなことを考えさせられた。実は、今年の2月には妹が死んでいる。その時は、真冬の出来事で、環境的にも身体的にも精神的にも私にとっては強烈なストレスだった。実質的に一人で葬儀を行い精神的にキツかった…。


そして、8ヶ月後に母の葬儀だ。


一年に2回も葬儀を行い、人の死と葬儀について考えさせられた。人の死は瞬間であるが、その死に至るには、その死者の長い人生があるのだ。死に至るまでの長い人生が、その結果が死の瞬間に覆い被さってくるような気がする。


一年後に、一周忌の法要を行うことを住職と約束してお寺を後にした。

合掌