ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

「砂の器」(松本清張)に書かれた「亀嵩」

私の故郷に、小説「砂の器」(松本清張原作)に出てくる亀嵩という所がある。
映画になって、テレビでも再上映されて、その亀嵩で映画撮影が行われて地元では大きな出来事になったようだ。(当時、私は故郷にいないので伝聞調だが)


その亀嵩に、玉峰山荘という温泉ホテルがあるのだが、そのホテルのロビーにはその撮影当時の写真がデカデカと飾ってある。(これしか自慢するものはないのか)


その亀嵩の地に「湯の神社」があるのだが、その境内の前にも”「砂の器」撮影現場”という看板が立っている。




この小説「砂の器」は松本清張の原作を読んだ記憶があるが、故郷の「亀嵩」という地名が出てくるし、東北弁と同じようなズーズー弁の出雲弁が取り上げられるし、当時の読み終わっての感想は面白いと同時に何か重苦しいものが私に心には残った。


貧しい農村の田舎を背景に展開する殺人事件の人間模様の物語に、私はなぜか我が身と主人公が重なってるような錯覚を見るような気がした。


貧しい農村の田舎の持っている人間関係や風土がこの小説から想像されて人ごとではないような思いがした…。


だから、この小説「砂の器」がテレビや映画されて「亀嵩」が有名になっても、”私の故郷だよ”と周りに自慢する気にはなれなかった。
それだけ、私には最初の映画「砂の器」のイメージは暗くて重いものがあった。