ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

合掌

 故郷の病院に入院していた私の母は10月22日に永眠いたしました。百二歳でした。


母は、私が渡越して同居家族が居ないので、しばらくしてから老人ホームに入所した。私は高齢な母を老人ホームに入所させることに負い目を感じていた。高齢な母を日本に残して、ベトナムに日本語教師として赴任することを親不孝で自分勝手な行動だという思いに一部かられていた。


だからというわけでは無いが、渡越してから一年に一回は日本の田舎に一時帰国をして、老人ホームに母に会いに帰っていた。
ただ、コロナが流行してからは3年間は帰国できなかった。今年の1月に帰国して会った時は4年ぶりの再会だった。百歳を越して高齢になって、車椅子生活になり記憶力も弱くなっていた。


コロナの影響で、施設での長時間の面会は難しくなっていたし、別れ際に母は「もう会えないか?」というような発言をしていて、私は「また、会えるよ。」と手を振って別れたことを思い出している。


それから、半年以上の経過で再会した時には、病院のベッドで横になっていて会話はできない状態だった…。声をかけると、薄目を開けて見てるようだったが…。


医者の診断では、「大きな病気があるわけでは無い」とのことで、だんだん食事ができなくなり、老衰で永眠ということになった。


身内と一部親族だけで葬儀を執り行い、葬儀後の手続きを役所に通いながら行ってるところです。
ある程度片付いたら、ベトナムに帰ろうと思っているところです。