ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

ベトナム帰りの日本語教師が山陰の田舎で思うこと

 9月30日深夜、目が覚めてiPhongを見ると深夜の1時だった。熟睡感があるので、すぐには寝れないと感じた。
家の外に出て空を見上げると雲が多いが月が雲の合間から見えた。そう言えば、昨夜は中秋の名月で十五夜だとFBの投稿で見た。
家の中にiPhongを取りに戻り月の写真を撮り始める。雲が多くて、iPhongのカメラでは月はくっきりとは撮れないが、何枚か撮影する。


 今、十五夜を見上げている地は中国山脈の中腹で山の中だ。県庁所在地の松江市から車で1時間ぐらいの距離の所だ。私が生まれた所である。
 ベトナムの地方都市からホーチミン市まで飛行機で乗り継ぎ、関空にLCC航空の深夜便で6時間かけて朝の8時過ぎに着いた。今回の飛行機は座席が長時間のフライトには辛かった。腰への負担がきつくて、腰が痛くなって熟睡はできなかった。
 その関空からJRを乗り継いで松江市に着いたのが午後の3時過ぎだった。岡山駅から松江駅までは特急やくもという名のいわゆる振り子電車である。中国山脈を横断するために、線路の振動を車両に直接に伝えないために振り子方式の車両だと聞いているが、結構揺れる車両である。車酔いをする人は気をつけたほうが良いかも知れない。
 
 松江市はいわゆる山陰地方の県庁所在地だ。宍道湖という湖と中海に面して風光明媚な所だが、山陰という字のイメージで「山のかげ」という印象が良くないと私は思うのである。誰がそう言う地名をつけたのか、迷惑な気がする。一方で、岡山は山陽という地名だ。いかにも太陽があたって暖かそうな地名で得をしていると、私は思うのである。


 ところで、今回私が日本の故郷に帰って来た理由は、母の入院という事態があったからである。私の母は今年102歳になる高齢者だ。約15年間、田舎の老人ホームで生活をして来たが、施設から「病院に入院するから、そのことで相談したい。」と連絡があり帰国することになったのである。
 私は長男で、兄弟は姉と妹、弟がいたが、何故か昔から私が親の世話をするのが当たり前のような雰囲気で生きてきた。
家は貧農で、私を含めて兄弟全員は県外に出て仕事や生活をするのが当たり前な時代に育ってきた。でも、田舎の同級生は長男は田舎で仕事をして生活をしてる者が多い。


 私の田舎の家は、上記に書いたように兄弟全員が家を出て県外に就職している。その理由は、実は親父が大酒飲みで、夕食時には毎日のように酒を飲んで酔狂する場面が多かった。子供の頃にはそれが嫌で嫌で、家族と一緒に食事をするのが嫌いだった。他の兄弟もそれは同じ思いだったと思う。大人になってから、ある時に姉がその思いを「だから、早く家を出たかった。」と言ったことを聞いた時は、同じ思いだったんだと痛感した。
ただ、そんな親父だったが、その親父と結婚した母は親父のことをどう思っていたのかは分からない。何も聞いていない。


 その親父は、80代半ばで死んでいる。時々、親父が死んだ年を思いながら、私は何歳まで生きるのかなと思うことがある。しかし、母親は今年102歳だ。日本人は女性の方が長生きだ。私は男だし、90歳代まで生きるのかな。あと何年、どう生きるか?その私の母親が入院した。これからの顛末記を書いて行こうと思う。