ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

北の会社で、2ヶ月半で日本語教師を辞めた理由

 昨年後半に、ダラットから急に思いつきハノイの周辺地域の日本への人材派遣会社で働き2ヶ月半で辞めた経緯を書こうと思う。
 
 3年の雇用契約で働き出したのだが、事前調査なしでネットでのやり取りだけで赴任した。寮完備ということだったが、施設は古い短大の設備を借りていて、寮の部屋のトイレの水道の継ぎ手からは水漏れ、上の部屋の下水管の配管が剥き出しで、しかも下水管の継ぎ手部分は密閉されてないのでトイレ内と通通である。(信じられないが、住み始めて2週間ぐらいして気づいた。早急な補修を頼むが1週間ぐらいしてやっと補修された。結局、約1ヶ月ぐらいは、トイレ内は下水管が開放されている状態だったのだ。)


 温水器も1週間ぐらいは電気がつかない状態でほったらかしだった。
それと、初日から「蚊」が多くて、窓や開放部分の対策を頼んだが、会社としてはやる気がなくて、自分でやれという状況だった。


 私はベトナムに10年以上住んでいるが、この国に慣れているとはいえ、このような会社の対応には呆れるばかりだった。
会社は、実習生を日本へ送り出す事業なので、実習生の中にはいろんな専門家(?)がいるので、上記の設備の補修はその実習生を使ってやるということだった。


 上記のトイレの下水管の補修も、私は専門業者でやるように言ったのだが、結局、会社の用務員がやっていた。だから継ぎ手の部分の接着剤の使用も素人作業で密閉されたかどうかは疑わしい。重大な病原菌が発生したらどうなるだろうと思うと嫌な気分になった。


 日本へ行く希望の実習生は約300人が在籍していて、全員寮に入っていた。ベトナム人教師は約30人いたが、日本人教師は私が入る前は20代前半の大学出たばかりの若者が4月からいるという状況で、私が入社した時は先輩(?)として会社の説明をするということだった。


 しかし、実際には丁寧な説明はしないで、何を勘違いしたのか、指導教官のような言動で私に指示、命令的な言動をしてくるのだった。
私は、ベトナムで10年以上の日本語教師をしていて、70歳過ぎの爺だ。その若者とは約50歳の年齢差がある。その若者は、日本の大学を昨年に出たばかりで日本で教員試験に不合格だったので、その会社で日本語教師を始めたらしい。しかも、翌年に教員試験に合格したら辞めるという条件だったらしい。当然、日本語教師の勉強はしていないし、経験もない。私が来た時は、その若者は入社して半年経過だった。


 しかしながら、日本語を勉強する実習生は約300人、ベトナム人教師は約30人もいる組織で日本人はその若者一人だったのだ。大学出たばかりで、日本語教師でもない、社会人経験もない、会社で働いた経験もない人間が、日本語教師だと言って教えるのである。


 入社して直ぐに、「試験」です見学してと言って、その若者が行う「会話試験」なるものを見学した。学習者20人弱のクラスで、学習した課の三つの課から問題を5つQA方式で教師が質問する方式と、テーマを決めて学習者がそのテーマで3分間自由に会話する方式で、その3分間の会話内容を採点する方法である。


 その3分間の会話内容を採点する方法は、五つの項目で採点する。反応、速度、発音、文法、内容だが、各々の細かい採点基準は何もない。
したがって、教師の感覚だけで採点するのである。「これじゃ、採点できないだろう。」「いや、どうやって採点するんだ!」しかも、五つの項目は各10点満点なのだ。その10点には採点基準が無いのである。
驚くばかりだった。「いやー、私は、反応が速いので10点満点をつけました。」などと得意げに言っているのである。一方で「文法」の項目も10点満点だ。その格差に驚くばかりだった。


 最初の試験の見学で、私にも試しに一緒に採点をしてみてくれというので一部やってみたが、当然ながら、採点基準も無いので採点はいい加減になる。これでは、採点する教師によって大きな差が出るのは必至だと思った。そのことに、気づきもしないその若者は、私との採点の差について、説明にもならんことを何か言ってるのだが…。意味不明だ。


 しかも、その試験見学の後で、「これを見ておいてください」と言って、「試験の採点基準」と書いた文書を私に渡すのである。(おいおい、これがあるなら最初に出さんかい!と思ったのだが‥。)
その文書を読むと、どうも最初は試験は10項目だったらしい。内容はQA方式で今の対話方式は後でやり出したものだと分かった。しかし、その「採点基準」はQA方式だけの基準で、対話方式に対応してないのは明らかだ。対話方式を追加した時点で、その採点基準を作るべきなのに作ってないのである。だから、対話方式は採点基準なしになってしまったのである。しかも、その対話方式を追加してからは、採点者はその若者一人になってしまったので、その若者一人の個人的感覚の採点になってしまったのである。


 このことは、少なくとも日本語教師なら問題があることに直ぐに気づくのだが、日本語教師の勉強もしていないし経験もないその若者は何の問題意識も持たずに行っているのである。


 その後、2〜3回その試験を私が行った結果、やはり採点基準もない状態で採点することの困難さを痛感した。しかも、その若者と採点結果が違うことに、採点する私に問題があるように言動されることに呆れるばかりだった。しかも、採点することが嬉々として面白いような態度だった。「日本人しかできませんから」と言っていた。一方で、「日本人は一人なので会話授業はほとんどできていない」というような発言もしていた。


 私は以上の試験を何回か経験して早急な改善が必要だと考えた。そこで、私は今の「試験の方法の問題点と問題提起」と題して私の考えを文章化してセンター長というベトナム人責任者に提出した。その後、その文書はその若者にも見せて、対話方式の採点基準を作ることと試験方法の見直しを提案した。しかし、その後一回だけ議論したが結論が出ないままだ。どうやら、その若者には私の問題提起が理解できていないらしい。


 その後、その若者は私の会話授業について命令調で「指示」らしいことを言ってきたが、日本語教師の経験もない勉強もしていない人間に指示されたくないし、言ってくる内容が頓珍漢なので「授業内容は自分で考えてやるから」と無視した。


 どうやら、自分の考えではなくてベトナム人教師に言われてるらしいことが分かった。その後、私は他の指導的な教師に、日本人の授業内容は自分で考えてやるから指示しないでほしいと伝えた。


 試験の採点のことでも、面白いことがあった。一応採点表があって各々10点満点で点をつけるのだが、元々採点基準もないので採点中に点数を書き直したりする。訂正箇所が多くて結果として見た感じは綺麗じゃないが採点に苦労していることは分かる。そのことに関して、その若者は私に偉そうに言ってきた。自分は指導教官だと勘違いでもしているのか?その訂正箇所を、修正ペンで消してきれいに書き直すようにと言うのである。私は驚いた。その理由が分からないので聞くと、綺麗じゃないから…のようなことを言っている。


 私はそんなことするのはおかしいし、しないと言ったが、逆に「どうしてか」と聞いてくるので、「訂正だらけ」の採点用紙は原本だから修正ペンなどの使用はしないでそのままで保存すべきだ。修正ペンで訂正が可能なら後で意図的に修正できるからダメだと言うような説明をするが理解できないようだった。昔、日本の役所では修正ペン使用は禁止だったが今でもそうだろうと言っておいた。


 正直、常識以前の問題だと痛感した。学生上がりの社会人未経験の若者の実態はこんなもんかと驚くしかなかった。


 それが、この会社では日本語教師として扱われていること、そしてそのことに疑問も持たずに6ヶ月先に入ったと言うことで日本語教師10年以上、人生経験50年の差があるような人間に先輩面して指導(?)しようとするその若者に私は面食らってしまった。



 それが、将来、日本で教員試験に合格したら日本の小学校で先生になると言うのだから、今でも問題だらけの日本の教育を考えたら絶望的だなと思わざるを得ない。それは、それ以後に起きる出来事の度に痛感することになる。


 それ以後は、その若者の言ってくることは頓珍漢なことなので一切無視して仕事することにした。


 そうこうするうちに、新たな日本人教師が入ってきた。40代の男性でベトナムで3年弱の日本語教師の経験がある人だった。


 その人物は、私と違って突撃力(闘争力)のある人で、寮に入った初日に話が違うと言って責任者や管理する人間と大きな声で文句を言っていた。寮の部屋の施設整備のことで、私は解決に1週間ぐらいかかったのを1日で解決させたようだ。私は、内心頼もしい人物が入ってきたと思った。


 その40代の教師が入って来た時点で、日本人教師は3人になった。
20代の若者と70代の私である。私は入社半月だし試用期間2ヶ月間は大人しくするつもりだった。そして、3人で初めてミーテイングを行うことになった。内容はお互いに腹の探り合い的な状況で、試験の方法も議論したが結論は出なかった。日本語教師経験10年以上、3年弱、6ヶ月の3人が集まって、一番経験の浅い人間がリーダー的な役割を行うことに無理がある状況は見え見えだった。


 その会社だが、人材派遣会社としては一年半の歴史しかない。しかし、日本語を勉強する実習生は約300人ぐらいいる。30人いるベトナム人教師は、圧倒的に多いのが日本で実習生だった経験者だ。実習生の特徴は、日本へ行く前にベトナムで約半年ぐらい初級前半の日本語を勉強した者たちだ。漢字は殆ど勉強していない。日本へ行っても、仕事が忙しくて日本語の勉強はできないのが現実だ。それでも、3年間は日本の社会で生活するのでそれなりに日常会話はできるようになっている。しかし、日本語の基礎的な学習は不十分だと私は思う。


 その実習生経験者がこの会社では、日本語教師として働いているのである。職員室での発言や会話を聞いていて分かるのは、人によって日本語力の差が大きいと言うことである。実習生派遣会社の特徴はここだけでなく「日本語の低レベルの再生産」だと私は理解している。しかしながら、この会社のレベルは良い方だ。今まで、私が南で経験した派遣会社よりも実習生の日本語力は上手だと実感した。
それは、教育方法でいろいろと工夫してることがあることに気付いた。


 実習生は朝夕の挨拶はもちろん、施設内で出会った時にいろんな質問を積極的にしてくるのである。それには正直驚いた。長い日本語文は言えないが、短い日本語文で質問するのである。初級の前半しか勉強してないのに、勉強した文型を使って聞いてくるのである。


 授業と授業の休憩時間に、メモ片手に「インタビュー」しますと言って質問するのが宿題のようになっているようだ。質問したかどうかを後で教師がチエックするのだろう。だから、実習生は必死に質問してくる、後でその証拠にサインを要求してくるのである。これが、あの「質問力」の源なのだろうと思った。


 会社の歴史は浅いのだが、日本語教育の運営システムは色々と創意工夫されているところがあり、不思議だと思った。それは、どうも今の会社の前の会社からの引き継ぎのシステムらしいことが想像できた。何かの理由で、同じ資本系列で前身の会社があったが新たな会社を造ってシステムを引き継いでいるようだった。今の教育を運営している人間は一年弱の経験しかないが、教育システムは前の会社からの引き継ぎでそれなりに揉まれて来ているだろうというのが私の理解だ。


 ただ、教師は多いのだが辞めて行く人も多い。私がいる2ヶ月ぐらいの間で数人の教師が辞めて行った。教師が足りないと言う状況だった。


 1ヶ月に一回、職員会議が開催される。全体会議と教師を三つに分けてグループ会議も行われる。2ヶ月目の会議で、グループ会議が日本人は私一人で他はベトナム人という状況で言語はベトナム語で行われて通訳も殆ど無しだった。しかも、グループ長の一方的な話だけで終始して、こちらの発言する場は無いのである。日本人には欲求不満の溜まる運営だった。内心、次からは参加したくないと思った。


 教師全員が参加する職員会議も、一応隣の教師が通訳をすることになってるが満足な通訳はできないままに終わった。しかも、その場で一人のベトナム人女性教師が何か発言をしているのだが、私の名前を言ってることは分かったが、その発言内応は分からない。となりの教師に聞いても、「今いる日本人教師で打ち合わせをしてほしい」と言っています、と言うだけだった。何を?と疑問が残る会議運営だった。一方的に、ベトナム語だけで運営されて、日本人教師には欲求不満の残る内容だった。しかも私の名前がでた?


 ところが、この職員会議の内容を後で、日本語の上手な教師に聞いたところ、私の名前が出たのは「悪口」だったと言うのである。


 通訳も満足にできない会議の運営で、一方的に当事者の私には分からない状況で、「悪口」だと言われるような発言がなされたのである。しかも、私にはその場での反論もできない運営なのだ。当然、後で分かった私の心は傷ついた。私の名誉が傷つけられたと思うのは当然であろう。


 何故にそのような発言がなされたかも理解できないが、そのような「悪口」発言がされたのに、その場で当事者の私にはなんの説明も会議運営の責任者からなかったのである。もちろん後からも無いのである。
 「それはおかしいだろう。それは無いだろう。」が私の思いである。
だから、私はその職員会議の運営の問題について、文書で責任者に提出して、職員会議での発言者の謝罪と運営責任者の説明と謝罪を要求したのである。


 責任者との懇談で上記の謝罪を要求したが、謝罪は無い。「悪口では無い、できてないところを言っただけである。」と言うのである。通訳も満足に無い運営や一方的な発言で私には反論もできない運営をしたことについても謝罪はないのである。しかも、その発言内容を聞いたのだが、些細なことである。それは個人攻撃でしかない。何故、それを職員会議で、しかも私のことだけを取り上げて言うのか理解できないことを説明してほしいと言っても返事ない。


 ここで、私は「今、急速に仕事をやる気が失せています。会社を辞めたいという気持ちが起きています。」と責任者に言った。それに対して、辞めてもらっては困るというだけである。


 そこで、念のために「今辞めたらどうなるか」条件を聞いてみた。
契約書では、辞める前1ヶ月前に会社に言わなければならない。それに、一方的に辞めたら罰金2000ドルを払わなければならないということを言ってきた。「罰金2000ドルというのは、契約書には書いてあるが、余程会社に多大な損害などを与えた場合ならあるかもしれないが、普通ではありえない。日本なら違法となるだろう。ベトナムでも微妙だな。と、私の考えを責任者に言った。


 この時点で、私が会社に入ってから2ヶ月が経過していた。
「試用期間」がちょうど終わる時期である。試用期間というのは、言葉通り会社が試しに使ってみるとなるが、働く側にも「このまま会社で働いても良いかどうか?」を考える期間でもあるのだと思う。


 そういう点では、私はこの時から急速に「このままこの会社で働くかどうか?」を考えることになった。
 その日本語センターの運営だが、約30人のベトナム人教師と日本人教師が一つの職員室で円形のテーブルに座っているのだが、結構狭くてキツイ状況だ。毎日、昼礼か朝礼があるのだが、内容は前日の昼及夜のクラスの実習生の状況を視察した報告と責任者から、本社から指示などがあれば報告がある。もちろん、教師から連絡事項があれば発言できる。この朝礼の発言は基本的に日本語でされる。場合によってベトナム語で行うことがある。ま、お世辞にも上手とは言えない日本語が飛び交うのだが、ベトナム人が苦手な日本語で運営しようという姿勢は評価できるだろう。そういう点では、このセンター全体ではできるだけ日本語で運営しようという方針で行われているような気がする。それが結果的に実習生の日本語力のレベルアップに繋がっているのだろうと推察できる。


 しかし、その朝礼で報告される内容は殆どが、実習生の管理状況のチエックと報告である。そして、本社の最高責任者からの指示命令の連絡である。私は、ある時、責任者は「メッセンジャーボーイ」でしかないということに気づいた。約、2ヶ月経ったが、このセンター運営について責任者の方針や考え方を聞いたことがないのである。
あるのは、本社からの連絡事項の報告だけである。そして、実習生を管理している状況の報告だけである。


 毎週、月曜日朝に実習生全員を集めて朝礼が行われる。一応、日本語で運営される。内容にはいろいろと意見もあるが、全体としては評価できると思う。責任者や教師たちが苦手な日本語で運営する努力は、実習生たちの日本語力アップになっていると思う。


 日本人の20代の若者のことだが、勤務時間に職員室で隣のベトナム人教師たちと話す日本語は「タメ語、タメ口」なのである。それに、まず私は違和感を覚えた。後で考えるに、彼は学生あがりで社会人経験や会社で働いた経験がないので、敬語や丁寧語を使う会話は苦手なのだろうと推察した。特に、同年代のベトナム人女性教師と話しているのを聞くと、日本では禁句である身体的な欠点や特長を表現する言葉を乱発しているのに驚いた。日本だったら、相手は怒るだろうと思うような言葉を平気で連発している。親しい、大学生同士での話し言葉ならまだしも、ここは一応会社内で職場だよと言いたい。呆れるばかりで、彼の常識と良識を疑わざるを得ないのである。


 日本語教師として働く職場で、彼の発言する日本語はタメ語の低レベルで同じ日本人として恥ずかしい限りの状況だった。


 ところが、その若者が、職員室で勤務時間中にベトナム語を話すというか、勉強?する場面を何度も見て驚いた。ベトナム人教師にいろいろと聞いているのである。長時間。それは、日本語教育の授業には関係ない事例で、あくまで自分がベトナム語を覚えたいという態度だった。
私はその場面を見て、おいおいそれは授業には関係ないだろう。ベトナム語を勉強したかったら、勤務時間外かベトナム語の授業料を払えよ!と思った。その場面は、何回もみることになった。


 そういえば、授業中に実習生が「〇〇先生は、ベトナム語が上手です」と言うのを聞いたことがある。おそらく、授業中に下手なベトナム語を連発しているのであろうと推測する。


 私たち、「日本人日本語教師は日本語だけで外国人に日本語を教えることを勉強した専門家である」という自負がある。ところが、その若者はその専門家としての勉強をしていないので、ベトナム人に授業中にベトナム語で翻訳してしまうことの弊害をわからないのだ。「日本語教師の専門家としての学習をしないで、ベトナム語が上手な日本人が教えると学習者は上手にならない」ということは、半年前に出会ったダラットの大学の日本語学科の教授も言っていたことである。日本語教育関係者なら常識である。しかし、その若者にはその常識は通用しないのだ。


 流石に、私はある時、その若者に授業中にベトナム語で翻訳したり話したりすることの問題点を話したのだが、おそらく理解できていないだろう。


 それと、「スピーチ大会」ということを会社は定期的に行っていた。もちろん実習生が日本語でスピーチをするのだが、それの審査員を日本人教師はやってほしいと、例によって直前に言われた。このスピーチ大会は会社によっていろんなやり方があり、その評価は避けるが、その中でその若者がコメントを求められて、ベトナム語で発言したのには驚いてしまった。当然、私は違和感を覚えた。どうして日本語で話さないのか?何か、大きな勘違いをしているな、と思わざるを得ない。
多少、ベトナム語ができる(仕事時間に勉強してるから)ということで、自慢げに下手な発音のベトナム語で日本語教師が、しかもベトナム人の日本語でのスピーチ大会でコメントすることを異常に思ったのは私だけであろう。日本人ネイテイブの日本語教師なら絶対にやらないことをその若者は行っているのである。


 それは、その会社に3人目の日本人教師(40代男性)が入ってきて、一定の時間が経過して、いろいろと話せるようになって分かったことがある。
その日本人教師はベトナムで約3年間の経験がある。その彼が言うには、20代の若者はその日本人教師と他のベトナム人教師がいる場面で私の悪口を言っているとのことが分かった。それを知った私は呆れて言葉もない。卑劣なやつだと思うしかない。


 この時点で、その20代の若者は日本での「教員試験」に合格して、今の会社は年末に辞めることが決まっていた。会社としては、日本人教師を募集しているのだがなかなか応募がない状況で、やっと複数の教師になるという状況である。


 本来なら、やっと念願の複数体制になる日本人教師なのだから、その日本人教師の集団が一致団結して仕事できるように考えるのが普通だが、その常識もないのだ。本人のいないところで悪口を言っているのである。そういうことは、必ず回り回って伝わるものである。その結果は良いことは何もない。


 その時点では、3人の日本教師がいるが、20代の若者は年末には日本へ帰国することが決まっている。残るは、私と40代の教師である。普通の常識だと、短期間だが世話になった会社に残った二人の日本人教師が仕事がやりやすいようにと考えるのが普通だが、その若者にはサラサラ関係ないらしい。自分のことしか考えていない言動ばかりだ。


 流石に、そのような状況になって、その40代の教師は もうすぐに辞めていく若者よりも残って一緒に仕事する私の方に寄ってくるのは当然だろう。自然の流れである。


 実は、この時点で、私は2ヶ月の試用期間が経過して、その若者は日本へ帰国することが決まっているのである。
そして、その若者の問題点も私は責任者と懇談したときにそれとなく反しているのである。しかも、責任者は当初に私が入社したときに、その若者がしている「日本の会社からの見学に対する説明」などは代わって行なってほしいということも言っていたのだが、試用期間がすぎても具体的な指示がない。そのことも、先に職員会議の問題点を指摘したときに確認したら明確な返事がない。むしろ、今のまま、その若者が行なっている日本人教師のリーダー的な役割や対外的な役割も日本へ帰国するまで継続する予定だと分かった。そこには、このセンターを運営することの方針や考え方が無いに等しいと思わざるを得ないのである。今の、3人の日本人集団の運営状況が良いかどうかも考えることができないのである。


 そのことが、分かった時点で私は急速にこの会社で働くことの意欲は無くなって行った。この責任者は唯のメッセンジャーボーイだと思わざるを得なくなった。本社からの最高責任者の決定事項を指示命令を伝えるだけのことである。自らが、このセンターの運営をどうしたら良いかを考える能力も知恵もないと判断せざるを得ないのである。そう思ったら、これまでのいろいろな出来事が理解できるのである。情けないとしか言いようがない。


 以上の結論に至った私は、「退職届」を会社の最高責任者宛とセンターの責任者宛に2通作成して直接に渡すことにした。それを責任者に言ったのが月曜日だったが「忙しい、時間がない」を理由に翌日の火曜になってしまった。月曜日の日付で土曜日に退職するという内容だった。契約書では1ヶ月前に言うというのがあるが、私の気持ちは急速にやる気が無くなっていて、とても一ヶ月も待つことなどできない心境だった。責任者は、「会社は罰金2000ドルを請求します」「会社は困るので辞めないでほしい」というだけである。


 「私は、決意は変わらない。今月の給料はビザ等の手続き費用に充当してほしい。罰金2000ドルは払う気はないし、日本では違法だ。ベトナムでも微妙だと思っている。どうしても、払えと言うなら、私は私の正当性を説明したいので会社の最高責任者に合わせてほしい。直接に私が話したい。」ということを責任者に伝えた。


 これを責任者に言った日の午後は本社で会議があるということだった。「じゃあ、最高責任者にも報告されて良い結果になるだろう。」と私は思った。


 ところが、その会議があったという日の夜に、責任者から会社に呼び出されて責任者に会うことになった。それで、会議で、私の退職は了解されたかと聞くと、「いや、まだ報告してない。」というのである。
私は「なぜ?」としか言いようがない。責任者曰く、「辞めないでほしい」「人事部の責任者と相談して再度、退職を止まるように説得することになった。」というのである。そして、「最高責任者からは貴方を校長にするように」と指示があった、というのである。
それから、「謝罪をします」と言うのである。
それを聞いた私は絶句するしかなかった。「遅すぎた」としか言いようがないと伝えた。
「武士に二言はない」の言葉を伝えた。


 私は、人事部の責任者にはこの間の経緯や私の考えや問題提起として責任者に出した文書のコピーは全て送っていた。それは私の正当性を理解してもらうためである。翌日、その人事部の責任者とはいろいろとネットでやりとりしたが私の決意は今さら変わらない。私の方から、最高責任者にも一連の文書を見せて私の考えを伝えて理解してもらってほしいと頼んだ。


 このとき、私には会社の最高責任者は理解してくれるという確信のようなものがあった。それは、実はその最高責任者には「ベトナムの先生の日」に会って挨拶をして握手した経緯があったのである。「ベトナムの先生の日」はセンターのある場所で夕方から夜にかけてイベントがあって、そのときに本社から来たその最高責任者が私に会って話したいとの指示があったのである。その場では、簡単な挨拶で終わったのであるが、私は最高責任者は「それなりの立派な人物」だと評価していた。ただ、日本語は分からない。


 その「ベトナムの先生の日」の出来事と、今回の本社でのその最高責任者の私を校長にするという指示は繋がっていると私は理解した。しかし、センターの責任者はそのことを想像する能力が足りなかったように思う。私には、そうなるであろうというような予感のようなものがあった。センターの責任者なら、そのことも含めてセンターをどう運営するかを考えて、最高責任者の指示が出る前にそのことを予測して運営体制を考えるべきなのである。しかしながら、実態は、20代の若者が帰国するまでは現体制を変える意思がなかったのである。それは、残される二人の日本人教師には大変に失礼なことである。
現場の責任者だから、現場を見て、分析して、過去未来を洞察して、人材の適材適所を考えて運営方針を考えることが仕事だろう。


しかし、現実はその能力がないので、本社からの指示待ちの運営と、実習生を問題が起きないように管理するだけである。そして、日本語教師についても管理だけしているのである。
そのことの問題に気づかないのである。私の名誉と自尊心は傷ついたとしか言いようがない。


 私はベトナムに12年在住しているが、8ヶ月は病気治療で一時帰国、それ以外は約半年間はベトナム語の勉強にホーチミン市の大学のベトナム語教室に通った以外は日本語教師としてどこかの日本語教育機関で教えていた。大学から小さな日本語教室まで、大小の実習生派遣会社も数件経験した。その経験から思ったことは、実習生派遣会社は教育機関とは言えないのではないかということである。人材派遣会社の日本語教室は教えてるベトナム人教師が様々で、有名な日本語学校の教師経験者から実習生経験者が教師をしているところもある。一度、その実習生の経験者が教師をしている会社で教えたことがあるが大変だった。


 その会社では、日本語教育機関で働いた経験者はいない。実習生で日本で3年働いた者が教師&管理者なのである。日本語能力も低レベルだが日本語教育はなんたるものかが理解できていないのである。日本人教師には会話をしてほしいというだけで一切の連絡も打ち合わせもない。
日本から見学があるのでと急に呼び出して授業をしてくれと言ってきたりすることも何度かあった。それ以外にも、いろんな問題が起きるのだが、そのベトナム人教師の責任は棚上げにして日本人の私の責任のようにしてくることがあって最後は辞めた会社もある。


 そもそも、失礼ながら、実習生の経験だけでベトナムで大学で日本語学科で勉強もしてないような人が日本語教師だと言って教えるのは、無資格者がいかにも専門家のような顔をして教えることである。日本語の基礎的学習ができてないので無理があるというのが私の意見だ。
 それは、日本人日本語教師にも言えるのだが、日本で日本語教師養成講座で勉強しないで、ただ日本人だからというだけでベトナムで日本語教師をしている者もいるが、やはり無資格者なのである。ただ日本人だからというだけでできる仕事ではないのである。日本人日本語教師というのは日本で専門の勉強をした専門家なのである。


 ところが、人材派遣会社は正式な日本語教育機関ではないので、ベトナム人教師と名乗る者も正式にベトナムで教師養成機関で勉強などしていなくて前述したように実習生経験者が行なってるところが多い。
日本人教師も日本人だというだけで、日本で日本語教師養成講座で勉強して資格を取ってない日本人が教えてるのが現状だ。
一方で、ベトナム人や日本人の有資格の日本語教師が働くには耐えられない運営がなされているのが現状だろう。


 したがって、今回私が経験した北の人材派遣会社もベトナム人教師は実習生経験者が大半だった。残念ながら実習生経験者の日本語能力の問題と限界は述べたとおりである。その集団の中に、20代の日本人が日本語教師の勉強もしてないのに飛び込んで日本語教師ですと言っていることの異常性に気づいたのは私だけだろう。その三十数人の集団と一人や二人の日本人が対決しても勝ち目はない。


 これは、想像だが、その20代の若者は日本人だがただ日本語が話せるだけで日本語教師の専門の勉強をしていない。それが30数人の低レベルの日本語を話すベトナム人集団に触れてどうなったか。元々、日本語教師としての専門家の確立はできてないので人種は違うが同じ日本語教師としてのベトナム人教師の集団に溶け込むしか道はなかったのであろう。だから、実習生上がりのベトナム人教師と同じレベルの日本語教師として疑問を持たずにいるのである。


 そのことを感じた出来事があった。私が入って1ヶ月目の職員会議だったか、私の後から半月遅れで入った日本人教師のことで、その人がベトナム人教師と授業中にトラブって責任者に注文を出して申し入れた内容があった。それを、その当事者の日本人教師は急な一時帰国中で不在だったが責任者はその申し入れ事項を職員会議で報告して、それを実行するようにと言っていた。


 ところが、それを責任者が発言した後で一方のベトナム人教師が、その日本人教師とトラブった時の様子を自分なりに報告して「私は悪くない」というような意思表示をしていた。
そしてその直後に、20代の若者が急に立ち上がって発言し始めた。
内容は、「その日本人教師の言うことは間違っている。私はベトナム人教師の皆さんの味方です。」というものだった。私はその発言に唖然とした。当事者の日本人教師がいない場で一方的に言うのもおかしいが、堂々と日本人教師よりもベトナム人教師の味方ですと言うのである。


 流石に私も黙っていられなくて、発言した。
「私も日本人教師として今この場にいない日本人教師の意見とほぼ同じです。私のベトナムで10年の日本語教師の経験から言うと、日本人教師とベトナム人教師の間には壁があります。それは、言葉の壁、文化や生活習慣の壁です。日本人日本語教師は、日本でそれなりの勉強をしてこの国にやってきた専門家です。一人一人が専門家としてのプライドがあります。そこのところは理解してほしい。」私は、その時、20代の若者の発言に怒りを感じていた。


 以上のやりとりがあっても、センター長と言う責任者は何も発言はしないで職員会議は終わった。


 上記の出来事があったことは、後日、その日本人教師が日本から帰ってきたときに私は報告した。当然ながら、彼は憤然としていた。そのときに、私はその20代の若者が私のいない場で私に批判的な言動(悪口)をしていることをその日本人から聞いた。


 日本人教師で団結して行こうと言いながら、影では悪口を言っているのである。卑劣な人間だと思うしかない。そんな人間が将来日本で学校の先生になると言うのだ。なって欲しくないと言うのが正直な気持ちだ。自分だけが良い子になろうと言う幼稚な言動でしかない。


 この時の二人の話し合いで、今後はその20代の若者の言うことは一切無視して行こう。年末には辞めていく人間なんだから‥。と言うことになった。


 その後に、その40代の日本人教師と20代の若者が言い合いになる場面もあった。20代の若者が例によって先輩面して何か言ってきたらしいが、40代の教師は「もうあんたに先輩面して言われたくない。」とはっきり言っていた。どうして言うのか?と言われて20代の若者は「先に入ってますから」と言うが、「半年ぐらい先に入って偉そうに言うな。」「私らは、あんたよりも50年差も人生経験のある人や私でも3年の日本語教師をやっているんだよ。あなたはもうすぐに会社を辞める人間なのだよ。もう何もしないでいいから黙っていてくれ。」とはっきりと言っていた。職員室の出来事だから、他の教師や責任者も聞いてた。


 実は、それよりも少し前に私もその20代の若者に「あんたは指導教官でもないんだから、いろいろと授業内容について言ってくるな。何かあるなら、ベトナム人の担任教師から直接に言ってくるようにしなさい。」と言ったのである。日本人の会話授業にはベトナム人教師が立ち会うのが通例だが、原則的には授業中に何か授業内容に意見があっても、お互いに授業後に話そうと私は職員会議でも言っている。それは、直接に日本人教師と担任が話せばいいのである。それを、直接に離さないで現場にいない20代の若者にメッセンジャーボーイとして言わせるのもおかしいのである。それをベトナム人教師に言われてノコノコと言いにやってくるのもおかしいのだが…。


 実は、このセンターでは実習生に週に3回日本語で日記を書かせているのである。それを日本へ行くまで継続して行なっているのである。実習生の日本語レベルが高いのはそのことにもあるのだと思っている。
日本語教師の世界では、日本語で日記を書く習慣を実行すれば日本語が上手になると言われているが、それを確実に実践している機関に出会ったことがなかったが、ここでは実践しているのである。もちろん、それをベトナム人教師は提出させてチエックしているのだが、文法の間違いなどを訂正するには時間がなくてできていないらしい。それでも、学習者が日記を書く習慣を身につけることはすごいと思う。


 若者の授業を1回だけ見学したことがある。しかし、短時間で退席した。何課の授業だったかも記憶にないが、その若者が教室で屈んでトイレで用便をするような格好をしている姿を見て、私はすぐに席を立って教室をでた。私には見るに耐えない光景だった。そんな格好をわざわざしなければならないような日本語会話授業を私は見たこともないし見たくもない。10年の日本語教育体験の私の神経は拒否反応を示していた。見たくもない光景だった。


 後日、ある一人のベトナム人教師の発言を聞いて納得する。「あの先生の授業は、ただ面白ければいいというだけです。」
 入社してすぐに、試験問題の例文を見て驚いた。第何課だったか忘れたが、「日曜日、どこへ行きますか」の問いに答える内容で、正解例として「恋人とホテルへ行きます」が書いてあって驚いた。もはや、その是非をいちいち書く気もしない。これがその若者の日本語教育の世界なのだ。


 その後、私はその若者が作ったというテストの問題例文を二度と見なかった。


 退職届を出して、二日後に責任者から「本社の最高責任者が了解しました」との返事があった。罰金2000ドルの件は発言もなかった。私もあえて聞かなかった。


 週末の退職日の当日の朝、朝礼で私が退職することの紹介が責任者からあるかと思っていたが、責任者からは何もそのことの発言はないので私も発言できなかった。もし、紹介があれば何を発言しようかと考えてはいたので…。


 どうして、紹介がなかったのか?は疑問だ。この間でも、ベトナム人教師が辞めるときは紹介があったように思うが…。ベトナムの文化、習慣?それはないだろう。


 それで、その日は土曜日なので、職員室で皆に挨拶するチャンスは昼の終業時間の12時しかない。そこで、今まで一番親しく話ができてる職員に「どうしよう、朝礼で紹介がなかったので挨拶できなかった。皆に挨拶したいけど‥。」というと、昼の終業時にしたほうが良いということになった。


 それで、その終業時間12時になった時に、職員室にいる職員に向かって声をかけて退職することになったことを簡単に挨拶をした。そして「武士に二言はない」「武士は食わねど高楊枝」の言葉を別れの言葉とした…。


 退職届を出してから5日間しかなかったが、噂は拡まっていたのだろう。何人かの職員からは「辞めないで」「辞めたら会社は大変だ」「どうして〜?」中には「私も、もうすぐ辞めます」などと言ってきた。


 しかし、この間、退職についてやりとりしていた責任者は、上記の私が皆に挨拶する時には不在だった。それで、私は最後の挨拶をしようと敷地内を探していたら見つけたので、「お世話になりました」と声をかけたが、返事がないのである。同じ言葉を繰り返したが、無言だった。
私と目を合わせようとしないのである。その態度には驚きだった。
日本人的感覚だと、いろいろとあったが最後は笑顔で別れの挨拶をして、握手でも‥、と思っていたが、その思いは吹っ飛んだ。後味の悪い最後の場面だった。


そういえば、20代の若者とのことを書き忘れた。最後の挨拶を終業時に行った時に、彼はその場にいたが、もちろん私は無視した。私の視野にその姿が入るのを私は避けた。そしたら、挨拶をした直後から、彼は私の側に来たいようなそぶりをしていたが無視していた。それで、最後に寄ってきて「どうも迷惑をかけてすみませんでした」と言ってきたのである。私は、それに対して何も言わずに無視して立ち去った。


 私の後から入社してきた日本人日本語教師と、「彼のような人間がこれから日本の小学校の先生になるのはとんでもないことだ。日本の教育界に未来はないね。」が一致する意見だった。


 以上が、私が北の会社を辞めた経緯だ。辞めた時に風邪をひいていたがその後完治するまで約3習慣もかかった。普通だと1週間ぐらいで治るのだが、一連の出来事でストレスが溜まり抵抗力が落ちていたのだろうと思っている。そして、辞めたあとも気分も落ち込んでマイナスな気持ちになることが多かった。そのため、この文は自分の気持ちを整理するために書いたものである。