ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

北の会社で日本語教師を辞めた理由、その2

 先に、「北の会社で日本語教師を辞めた理由」を書いたが、その続きを書こうと思う。


何回も書いてるが、私はベトナムで約11年日本語教師をしている。最初はホーチミン市のベトナムで一番学習者が多い日本語学校をスタートに、大学の日本語学科、中小の日本語学校、実習生や研修生派遣会社、留学生派遣会社等々とベトナムの日本語教育機関で日本語を教えて来た。


 ホーチミン市で約8年間、ダラット市で4年間住んで来たが、ダラット市ではもちろんのことだが、ホーチミン市でも後半では、職場では日本人教師は一人という所が殆どだった。


 だから、北の会社で20代の日本人と一緒だということは久しぶりのことだった。
そして、20代の若者と同じ職場になってみて驚くことが多かった。
それを、前回書いたが書き足りないことを書いていく。


食後の後片付けについて
 北の会社は実習生の派遣会社で実習生は約300人くらい居た。全て寮生活だ。従って食事は昼と夜は会社の食堂で全員が教師たちも一緒に食べる。夜は教師は別だが昼は一緒だ。入社して初めて昼食をみんなと一緒に食べるのだが、ルールがあるのかないのかも説明がないので、実習生の中に入り同じ皿のオカズをみんなで取りながらベトナム風に食べるのであった。食堂の各テーブルにはそれぞれご飯とオカズは皿に盛ってある。それを実習生たちが各茶碗にご飯を入れてくれる。あとは各自オカズを箸で取って食べるのである。
 食べ終わったらどうするか、私は何の疑問なく「ごちそうさまでした。」と席を立ち食堂を出た。


 ところが、何日後かの午後になってから、20代の若者が私の所にやって来て言うのには、「先生は食べ終わってから何もしないでそのまま席を立ちますねー、それはダメなんです。」と言うようなことを言って来た。その時の言い方を、言葉を正確には覚えていないが、私には素直に聞けなかったのである。「どうして?」と聞くと、「実習生たちが後片付けをしているのです。先生が何もしないでいればどう思いますかね。」というようなこと言って来たのである。
ものは言いようで、「みんなで後片付けをするのがここの規則、ルールですから。」と言えば、私も、そうか分かったと言ったかもしれないが、そうではなかった。
「なんで、しないんだ。それでは実習生たちがどう思いますかね?」という趣旨に聞こえた。
私は「私はやらないよ。彼らは実習生で、日本へ行って会社で同じように、私の世代の様な会社の日本人と一緒に食べる時に、日本人社員が後片付けをしないだろう。だから私はしないよ。」というような返事した。後で、ちょっと屁理屈だったかなと思ったが。正直感情的になっていたと思う。


 何故か、この時に素直に彼の言うことに賛成できなかっのである。ところが、彼はその私の返事に納得しないで、どうしてしないんですか?としつこく言い、じゃあ、朝礼で実習生たちにそう言ってくれと言うことになったのである。後で考えれば、ここの規則、ルールですからと言えば済んだかもしれないのにと思う。


 そこで、毎週月曜日の早朝の朝礼で実習生たち全員に私食事の時に私は後片付けをしない理由を私なりの理屈で説明することになったのである。
私は、「私のような年代の日本人は皆んなのような若い世代と一緒に食べる時、また会社の社長や年長者は同じように食べる時には後片付けなどはしないで、皆さんがすることになるでしょう。」それが日本の文化習慣です。しかし、私は皆さんと一緒に食事をしていろいろと話もしたい。と言うようなことを朝礼で話した。


 後で考えれば、朝礼で何故わざわざ言わなければならないのか?その20代の若者に不信感を抱いた初めの出来事だった。


 その後、冷静に食堂の状況を観察すると、ベトナム人教師たちも実習生たちと一緒に後片付けをしているのです。「みんなで後片付けするのがルールです。」と言えば、済んだことなのに。


 私は、結局2ヶ月半後に辞めるまでガンコにしなかった。ただ、1回だけ、テーブルが全員ベトナム人教師だった時は自分の茶碗と箸は片付けたが。


 試験中に「カンニングだ!」と大騒ぎする。


 ある日の試験の時の出来事を書こう。
会話試験は日本人教師が担当する。一コマ一時間で二コマの時間で会話試験をやるのだが、半分に分かれていて、前半は教師が質問する項目を5つ行い、学習者が答える内容で採点する。後半はテーマが決まっていて、そのテーマで二人の学習者が3分間自由に会話するのを5項目で採点するものだ。この3分間の内容を採点するのが至難の技で、各5項目が10点満点で採点するのだが採点基準も何も決まってないので教師の個人の感覚で行うしかない。「文法」項目も10点まんてん、「速さ」「反応」も各10点満点だ。日本語教師としては、文法も速さも同じ10点満点というのは合点がいかない。こういうように内容も運営も問題だらけの試験方法だが、取り敢えずやるしか無いので行っていた。


 試験中は日本人教師が中心だがベトナム人教師が手伝うことになっているが、教師によってその手伝い方はいろいろだ。殆ど何もしない教師もいれば積極的に手伝う教師もいる。中には、試験内容で解答に困ってる学習者に答えをつぶやくような教師もいる。


 ところが、その日の試験では担任の教師は休みだった。私一人でバタバタしながらやるしか無い。この会社では、授業中に廊下を見回る事を責任者やグループ長の教師が行っている。試験中に、その見回りをしているのが教室内から拝見できた。


 前半の試験が半分くらい終わってるころに、突然20代の若者が教室に入って来て「カンニングをしています。試験をストップしてください。」というようなことを言いながら言い出したのである。前半の試験はQA方式だ。試験が終わった者は、そのまま教室内に着席しているから、廊下で順番を待っている者には伝わらない。カンニング?


 その20代の若者が言うには、試験が始まるころに階段の所で3にんくらいの者がヒソヒソと何か話していた。あやしい、絶対にカンニングしているはずだ、というのである。その教室は、裏に窓があり廊下に面しているので、その廊下で聞いていたらカンニングできるはずだというのである。しかし、その現場は見ていない。その窓からは遠く離れた階段の所で3人の者を見ただけである。何かおかしい事はなかったですか?と聞いてくるので、「ある試験項目だけ、簡単に答えてくるのがあって、どうしたのかと思った。」ということは言ったが、カンニングだとは決まってない。しかし、彼は「そうでしょう!カンニングです。」と断定的な言い方をする。


 「カンニングだ!」と彼が言って来た時と、彼が階段の所で3人を見たという時の時間差があるので、どうしてすぐに言ってこなかったのかと聞くとハッキリとした返事はなかった。ちょっと変に感じた。


 しかし、カンニングだと大騒ぎする割にはその証拠も確認できないので、そのまま試験は続行した。試験が終わってから、彼は「私が吐かせます」と教室内でその3人の実習生を問い詰めたようだが、当然ながら「やりました」などとは言わない。状況証拠もない、彼の推測だけである。


 その後、職員室に帰って来て、「試験結果はどうするんですか、私なら3人は最低でも0点にします。」と息巻くのである。私は、担任教師も休みだし、担任が出勤してから相談するしかない、と言うのに納得しないのである。内心、なんでお前が自分の担当でも無いクラスのことに突っこんで来るのか分からないと思う。


 しつこいので、責任者に報告して判断をしてもらおうと私が言って、責任者に出来事を報告する。しかし、その報告でも、彼は大袈裟に誇張して言うので、ちょっと待てそんなこと言ってないと注意した。「試験結果はめちゃくちゃだった」と私が言ったと、言ってもいないことを言うのである。「事実だけを言うように」と注意するのだが、不満そうな態度で、カンニングがあったと断定して発言しているのだ。私は、担任教師も休みなので、担任が明日に出勤してから出来事を報告してから、担任の意見も聞いてから試験結果をどうするかは決めるべきだ。いま、3人の試験結果を0点にする云々はできない。と責任者に言った。結果は、責任者の意見も私の意見とおなじだった。彼は、不満そうだったが。


 翌日に、担任教師が出てきて、私は昨日の出来事を報告した。担任もクラスで3人の実習生に聞いた結果は、「そんなことするとは思えない。」が担任の意見だった。私も、カンニングの証拠も状況的証拠も無いので試験結果は何も変更無しとした。


 ところが、その騒動があってから翌週の月曜日の定例の朝礼で、全員の実習生の前でその20代の若者は勝手にその騒動をカンニングがあったと断定した言い方で発言するのであった。
しかも3人の名前を出して。「日本ではカンニングは重大な不正行為です。私なら、不正行為があったら、全部0点にする。」というような発言だった。私は呆れて言葉もないという気持ちだった。彼のその言動は、今回の騒動に対して、結果として何も無かったことにした、私と担任にたいしての当て付けのような気がした。自分の立場をなんだと思っているのか?訳がわからんというのが私の気持ちだった。