ダラットの風に吹かれて〜、日本語教師。

ベトナム在住16年の日本語教師、サイゴンからダラットに引っ越して、コロナ流行には翻弄されながらニャチャンとダナンを行ったり来たり。今はダラットに舞い戻り日本語教師引退後の生き方を模索中。

母の容態が良くないので、これから病院へ行き、泊まり込みになるかな

 母は20日から病院に入院しているが、当初は養老院から検査入院と聞いていたが、食事ができなくなったり出来たりと安定しない。点滴をしながら様子を見てる状態だ。当初はドクターは「高齢だが、どこも悪くない。」とのことだったが、昨日に面会した時には、母の様子はかなりしんどそうだった。
 
 呼吸が荒くて大変そうだった。声をかけても、薄目を開けて片目で見てるようだが、声の返事は無い。ただ、ちょっと頷くような素振りはする。


 ドクター曰く、「ナトリウム(塩分)不足が発生してるので、点滴で補ってます。」との説明だった。


 当初の、予想よりは状況は厳しい。看護師さんから、私は田舎に帰省してるが車もバイクも無いので…、というと、病院に泊まることができるとの説明だった。


 と言うことで、ただいま午前10時半だが、病院に泊まる覚悟でこれから出かける。

ベトナム帰りの日本語教師が山陰の田舎で思うこと

 9月30日深夜、目が覚めてiPhongを見ると深夜の1時だった。熟睡感があるので、すぐには寝れないと感じた。
家の外に出て空を見上げると雲が多いが月が雲の合間から見えた。そう言えば、昨夜は中秋の名月で十五夜だとFBの投稿で見た。
家の中にiPhongを取りに戻り月の写真を撮り始める。雲が多くて、iPhongのカメラでは月はくっきりとは撮れないが、何枚か撮影する。


 今、十五夜を見上げている地は中国山脈の中腹で山の中だ。県庁所在地の松江市から車で1時間ぐらいの距離の所だ。私が生まれた所である。
 ベトナムの地方都市からホーチミン市まで飛行機で乗り継ぎ、関空にLCC航空の深夜便で6時間かけて朝の8時過ぎに着いた。今回の飛行機は座席が長時間のフライトには辛かった。腰への負担がきつくて、腰が痛くなって熟睡はできなかった。
 その関空からJRを乗り継いで松江市に着いたのが午後の3時過ぎだった。岡山駅から松江駅までは特急やくもという名のいわゆる振り子電車である。中国山脈を横断するために、線路の振動を車両に直接に伝えないために振り子方式の車両だと聞いているが、結構揺れる車両である。車酔いをする人は気をつけたほうが良いかも知れない。
 
 松江市はいわゆる山陰地方の県庁所在地だ。宍道湖という湖と中海に面して風光明媚な所だが、山陰という字のイメージで「山のかげ」という印象が良くないと私は思うのである。誰がそう言う地名をつけたのか、迷惑な気がする。一方で、岡山は山陽という地名だ。いかにも太陽があたって暖かそうな地名で得をしていると、私は思うのである。


 ところで、今回私が日本の故郷に帰って来た理由は、母の入院という事態があったからである。私の母は今年102歳になる高齢者だ。約15年間、田舎の老人ホームで生活をして来たが、施設から「病院に入院するから、そのことで相談したい。」と連絡があり帰国することになったのである。
 私は長男で、兄弟は姉と妹、弟がいたが、何故か昔から私が親の世話をするのが当たり前のような雰囲気で生きてきた。
家は貧農で、私を含めて兄弟全員は県外に出て仕事や生活をするのが当たり前な時代に育ってきた。でも、田舎の同級生は長男は田舎で仕事をして生活をしてる者が多い。


 私の田舎の家は、上記に書いたように兄弟全員が家を出て県外に就職している。その理由は、実は親父が大酒飲みで、夕食時には毎日のように酒を飲んで酔狂する場面が多かった。子供の頃にはそれが嫌で嫌で、家族と一緒に食事をするのが嫌いだった。他の兄弟もそれは同じ思いだったと思う。大人になってから、ある時に姉がその思いを「だから、早く家を出たかった。」と言ったことを聞いた時は、同じ思いだったんだと痛感した。
ただ、そんな親父だったが、その親父と結婚した母は親父のことをどう思っていたのかは分からない。何も聞いていない。


 その親父は、80代半ばで死んでいる。時々、親父が死んだ年を思いながら、私は何歳まで生きるのかなと思うことがある。しかし、母親は今年102歳だ。日本人は女性の方が長生きだ。私は男だし、90歳代まで生きるのかな。あと何年、どう生きるか?その私の母親が入院した。これからの顛末記を書いて行こうと思う。

早朝の鶏の教会で心を安らかに

朝、ヨガ🧘練習の帰りに教会⛪️に寄る。この教会は塔の天辺に鶏が乗っていて「鶏の教会」と呼んでいるが、何故鶏なのかは知らない。

私はクリスチャンではないが、この教会が好きだ❤️時々寄る。敷地をぐるりと一周すると気持ちが安らぐ。


クリスマスの時期になるとデコレーションで飾れてて賑やかな雰囲気になる。

ヨガ練習の再開、体力の衰えを…

 昔、ダラットに住んでいた時にヨガを始めたことはこのブログでも書いたと思う。
その後、ダラットを離れて3年以上の月日が経過したが、ヨガを練習しなければ!と思いながら出来なかった。


ダナンに住んだ時に2ヶ月くらい、日本語センターの近くにヨガ教室があったので練習したが、引っ越しのために中断した。


特に、この3年くらいはコロナの流行期間だったので、ヨガレッスンも困難だったというのが言い訳だ。


さて、ダラットに戻ってきて約3週間、ようやく生活リズムも落ち着いて来たのでヨガ練習を昨日から再開した。


以前に練習に通っていたヨガ教室に、朝6時からのレッスンに教室に行くと、顔見知りのメンバーが3人くらい居た。


そのメンバーの横にヨガマットを敷く場所をあけてくれたりして、再会を歓迎してくれる雰囲気が感じられて嬉しかった。(言葉の壁はあっても…)


以前は、同世代の男性も夫婦で参加していたが、昨日は見えなかった。辞めたのか休みなのか分からないが…。


レッスンでは、今まで怠けていた分、体が悲鳴をあげてる瞬間がなん度もあった。それと後期高齢者だということも実感した。体力の減退を実感した。(そのヨガ練習の翌日、体のあっちこっちは筋肉痛だ。)


これからは、年相応にヨガレッスンを継続して行きたい。

3年もご無沙汰しました。この間、色々あって…

 このブログの投稿を3年以上も怠けていた間に、身の回りから世界情勢まで大きく変動している。3年前にダナンからニャチャンに旅行中にコロナでダナンが社会隔離されてニャチャンに足止めを喰らった。


今、久しぶりにこのブログを訪問して、最後に投稿したのが”断食云々〜”で血糖値が正常値になった!を見て、ショックを感じている。


この3年間で、血糖値云々は少し悪化している。コロナ流行の所為で運動不足とストレスの影響だと思うが、「16:8ファステング」と称して朝食を食べないで一日2食の健康法を断続的に行なっていたが効果がないことに今改めてショックを感じている。改めて、生活習慣を見直そうと思う。


世界情勢で言うと、ロシアのウクライナ攻撃が最大の出来事だったかな。その戦争はいまだに継続中だ。今更だが…。(今頃、なにを惚けたことをと言われるが…。)


日本国内情勢だと、安倍政権が突然に終わったこと、その後の政権も自公政権で日本の政治と経済の低迷状態は変わらず…。


その日本国の政治と経済の低迷状態の結果、ベトナムからの日本への実習生や留学生希望が後退しているのは実感している。


私がベトナムで日本語教師を始めて約16年。ベトナムの若者に日本の文化、習慣、経済を語り日本に行くことを勧めて来たが…。


3年ぶりの投稿で、その間の変化でいろいろと書きたいことはあるが、約1ヶ月前にダナンからダラットに引っ越して来た、戻って来たというのがいいかな。
この3年間(コロナ期間中)は、ダラットとニャチャン、ダナンを行ったり来たりの繰り返しだった。


ベトナムのダラットは標高1,500mの高地で、昔から避暑地として有名だが、その高地で採れるコーヒー(アラビカ種)が美味しい。今もそのコーヒーを飲みながらこの投稿を書いている。今後、そのダラットコーヒーのことも投稿していきたい。


久しぶりの投稿でだらだらと書いてしまったが、これで失礼します。